クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

キリスト者と神との関係

 生まれながらの人間は自分を第一に考え行動します。自分を大切にする、それは大事なことです。しかし人が成長していく時、人は新たな事態に直面します。他者との関係という課題が生じます。たとえば結婚したとします。すると伴侶と共に生活することになります。その場合、自分第一では問題が発生することが予想されます。相手も自分の意志を持っているからです。相手も自分を第一とする心を持っているからです。自分を第一とする心を持つふたりが一緒の生活をすれば、遅かれ早かれ対立が生じ、争いが生まれます。二人の関係をよい関係にしたければ、お互いに相手の気持ちを尊重することを学ばなければなりません。相手の人格を大切にすることを学ぶことが大切です。

 そこでクリスチャン、キリスト者を考えます。クリスチャンは信仰を持ち、神を信じる人です。祈りにおいて、神のことを「天の父」と呼びます。つまりキリスト者は、神を父と呼びます。そのことは自分が神の子どもであり、神と父子の関係に生きていることを意味します。

 クリスチャン、キリスト者は神との関係に生きる存在です。その時、大切なことは、神の御心をどう受けとめているかということです。まず神の御心が何であるのか、関心を持つこと、その神の御心を喜ぼうとする心が自分にあるのかないのか。

 キリスト者になっても自分第一の心は私たちにあります。するとどうなるのでしょうか。神に自分の願いを聞いて欲しいと願います。自分の願いを聞いてくれてこそ、神は神です。もし自分が何か苦しいこと、辛いことに直面すると、神さま、なぜこんな目に私は会うのですかと文句を言いたくなります。

 だから思うのです。クリスチャンは、神を喜び、神の御心を喜ぶ者でありたい、と。そもそも神の戒めにしても、それは守らなければならないものというよりは、人間を幸いへ導く戒めと理解できます。

 でも自分第一の心があると、神の戒めを余計なものと考えてしまうことがあります。私の生活に干渉しないで、と思う心が私たちにないとは言えません。神の戒めがなければ自由なのにと思う心が私たちにあるかもしれません。

 人間は自分がしたいと思うことは実行するし、したくないと思うことはしません。自分の思いが神の御心に近づくなら、御心を喜んで行う信仰者になります。

 人格を持つ者同士ということでは、神と私たちは対等です。しかし立場は違います。神を敬い、あがめる、それがキリスト者の立場です。神は人間を愛し、人間を祝福する方です。神はきっと私たちに神の子としてふさわしい者になって欲しいと願っておられると思います。神は私たちに期待しているのです。神の御心に関心を持ち、神の御心を大切に受けとめ、神の御心に生きる自由に生きたいと願います。

 

フクジュソウ 2023.3