クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

いつも喜んでいなさい

 聖書にはいつも喜んでいなさいとの教えがあります。

フィリピ 4:4
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

テサロニケ一 5:16
いつも喜んでいなさい。

 老いた人は、自分の死を意識しながら生きているのではないかと思います。意識しない人がいることを知っていますが、意識する人が多いのではないかと思います。そうすると死というものが心に重くのしかかってきて、「いつも喜ぶ」「つねに喜ぶ」ことはむずかしくなります。私は朝目覚めた時に、何となく重苦しい思いが自分の心にあることを知っています。それでもなお「いつも喜んでいる」ことができるようになりたいと願います。

 そのためには、死を越える希望をたしかにすることが必要であり、聖書が教える終末の事柄を受け入れることが大切だと考えるようになりました。聖書は終末を見据えて生きることを教えています。たとえば最後の審判を聖書は教えています。

マタイ 16:25~26
 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

 最後の審判で命を失うなら、この世で全世界を手に入れても意味がないと教えられます。最後の審判で救いに入れられるように信仰に生きることは、喜びであることを教えられます。

 主イエスの語ったタラントンのたとえがあります。神さまからいただいた賜物を生かした人は「忠実な良い僕だ。よくやった」と言っていただけます。神さまからほめられる喜びを目指して、今を生きることも喜びであると教えられます。

テモテ二 4:6~8
わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。
わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

 義の栄冠を受ける時の来ることを覚え、主が来られる日をひたすら待ち望むことも喜びであると教えられます。

 朝憂うつな思いで目覚めた時には、「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです」と自分に言うのが憂うつな思いに対する薬になるのではないかと思いました。実験してみます。

奈良にも雪が 2025.02.24