聖書に次のような言葉があります。
エフェソ 4:11~13
そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、
ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
復活し天に上げられたキリストは教会に連なる者たちの中から、ある人を使徒、預言者、福音宣教者、牧者、教師に召されたとあります。今日では使徒や預言者に召される人はいませんが、福音宣教者、牧者、教師に召される人はいますし、召された人たちによって教会の働きが担われています。
この人たちの働きにより、聖なる者たち(教会員)は奉仕のわざに適した者とされ、キリストの体(教会)を造り上げていくとあります。その結果、私たちは成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するとあります。キリストの満ちあふれる豊かさとは何でしょうか。
エフェソ 4:15
愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。
この聖句も私たちは、愛に根ざして真理を語り、頭(かしら)であるキリストに向かって成長していくとあります。
これらの聖句は、信仰者としての私たちの成長がキリストと結びついていることを示しています。
さらに同じエフェソ書の3章には、使徒パウロの祈りが書かれています。
エフェソ 3:16~19
どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。
また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
キリスト者が心のうちにキリストを住まわせること、愛に根ざし愛にしっかり立つ者となること。さらにキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解するように、そしてこの愛を知り、この愛に生き、神の満ちあふれる豊かさにあずかるようにと、キリスト者の成長が祈られています。
果たしてこのような教会、キリストを頭とする教会が歴史の中で現実に存在したのかと思うほどです。まぶしすぎてどんな教会かよく分からないというのが私の正直な印象です。教会の素晴らしさ、成長した信仰者の素晴らしさは理解できます。そして少しでもこのような教会、信仰者に近づくように神さまに召されていることを思います。
パウロの祈りは不可能なことを祈っている祈りではありません。パウロは次の祈りで締めくくっています。神にはできるのです。
エフェソ 3:20~21
わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
