クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

ありえないことを信じるキリスト者(1)キリストの復活

 イースタに向けてルカ福音書24章1~12節を思いめぐらしています。

 婦人たちがイエスの葬られた墓に香料をもって行きます。石がわきに転がされており、墓の中に入ることができます。入っていくとイエスの遺体が見当たりません。途方に暮れていると輝く衣をまとった二人の人がそばに現れ婦人たちに語りかけます。

「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」。

 続けて

「まだガリラヤにいたころお話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」。

 婦人たちはイエスの言葉を思い出しました。そして墓から帰って弟子たちに一部始終を知らせました。しかし弟子たちは婦人たちの語っていることがたわ言のように思われ、婦人たちを信じませんでした。つまりイエスの復活を弟子たちは信じませんでした。

 なぜ信じなかったのでしょうか。死んだ人が生きた人として姿を現す、つまり死者が生き返るということはありえないと考えていたからです。この世に生きる人間の常識は、死者は生き返らない、です。死者が生き返るなんて、ありえない、それが人間の常識です。

 使徒パウロがアテネの町で伝道した時、アテネの人々は「あなたが説いているこの新しい教えはどんなものか、知らせてもらえないか」と語りました。パウロは創造主なる神がおられること、神は悔い改めを人々に求めていることを伝え、イエスの死と復活を語りました。するとある人々はあざ笑い、また別の人は、「いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って、その場を去りました。パウロの話は聞くに値しないと考えたのです。アテネの人たちにとって死者が生き返ったという話は愚かな話しなのでした。現代の人にとっても、死者が生き返るという話しはありえない話し、信じるなんてありえない、という話です。

 しかし、聖書はキリストの復活を伝えます。キリストの復活を信じないなら、キリスト信仰はありません。キリストの復活という人間の常識からすればありえないことをキリスト者は信じます。

 イエスの弟子たちは婦人たちの話をたわごとと考えました。婦人たちは彼らに、「イエスが三度も、自分が苦しみを受けて死ぬが復活すると話していましたよね」と伝えたのに、弟子たちはたわ言としました。弟子たちは、イエスの言葉もたわ言としました。それほどまでに死者が復活するという出来事はありえない出来事です。しかしキリスト者はありえないこの出来事を事実であると信じます。そしてそこに意味を見いだします。意味を見いだすから、イエスの復活を信じると言うこともできます。

 イエスの復活だけでなく、キリスト者はありえないと思われることを信じる存在です。人間の思いを超える神の業を信じる存在です。

やっと会えた春の花 オオイヌノフグリ