クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私を生かした聖句(11)ガラテヤ6章15~16節

ガラテヤ 6:15~16
割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。

 私たちは洗礼を受けキリスト者になった時、新しく生まれました。

テトス 3:5
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

 「新たに造りかえる洗い」とは洗礼のことです。洗礼を受けたキリスト者は新しく生まれました。だから新しく生まれた者として、新しく創造された者として歩みます。私は新しく生まれた者として歩むようにしました。

 洗礼を受け新しく生まれたといっても、自分の心が変わったわけではないし、新生した実感はありません。洗礼を受ける前後で自分の心に変化はないかもしれません。でも一つだけ変化があります。つまり、キリスト者になった「私」は、キリスト者として生きて行こうと考えるし、キリスト者として生きています。以前は、信仰を持たない人間として生きていました。今や、信仰を持った人間として「私」は生きようとしますし、生きています。つまり信仰に生きる「私」が新しく生まれたのです。日曜日には礼拝に行くことは、「私」が新しく生まれ、キリスト者になった証拠です。「私」という人格が、信仰に生きる「私」として新しく生まれたのです。

 だから「新しく創造された者」として歩みました。日曜礼拝で神を礼拝し、説教を聞きます。また自分でも聖書を読みます。こうして聖書によって生きようとする「私」が誕生しましたし、「私」は聖書によって、信仰によって生きる人間になりました。聖書に親しみ、聖書によって生きようとする中で、心も変化していきます。信仰によって生きようとする心に変化、成長していきます。

 新しく生まれたからといって全く別な人間になったわけではありません。心は変わっていませんし、罪を犯します。でも生きかたが変わったのです。

 新しく創造された者として生きることの大切さをこの聖句から学びました。

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