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隠退牧師 holala によるブログ

ありえないことを信じるキリスト者(7)罪の赦し

 イエスという人が十字架で犯罪者として処刑されました。

 聖書は、人は神の前に罪を犯すと神の怒りを招き、神による罰があると教えます。この世には終わりの時があり、その時に人は自分の行ったことについて神の裁きを受けると聖書は教えます。すべての人は、神の前に罪を犯しているので、神の裁きを受けて永遠の滅びに入れられると教えます。

コリント二 5:10
なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。

 そこで神は人間を救うために救い主を世に送りました。イエスです。神はこのイエスが十字架の上で死ぬことをよしとしました。イエスは当時の宗教指導者たちを偽善者と批判し、彼らの目から見れば、神の教えを破っているように見える行動をしました。だからイエスは神を冒瀆する者として捕らえられ、裁判にかけられ処刑されました。

 聖書には、人は罪を犯したら神の赦しを得るためには、神にいけにえをささげるようにとの教えがあります。イエスは罪の赦しをえるためのいけにえとなりました。イエスを信じる人は罪を赦されるし、永遠の命を得ると聖書は教えています。

 使徒言行録
2:38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。

 ここで考えると分かることですが、罪の赦しを得るためのいけにえは、罪を犯した人がささげます。しかし罪の赦しのためにささげられたイエスという犠牲は、神が提供したいけにえです。神がイエスを救い主としてこの世界に送ったのです。つまり罪を赦す側の神が、赦しのためのいけにえを献げたことになります。これは理屈に合いません。赦す側の神が罪を償ういけにえをさし出すなんて、道理にかないません。

 しかし聖書は、このイエスこそ救い主だというのです。人間は神の前に繰り返し罪を犯しますから、自分の罪を償うことはできません。そこで、神がイエスといういけにえを用意され、イエスが私の代わりに、私の罪を背負い、神の裁きを受けてくださったと信じるなら、私の罪は赦されるというのです。ただ信じるだけで、罪の赦しが与えられるのです。人は罪の赦しを受けるために何もしていません。それなのに赦しを受けるのは、理屈に合いません。キリスト者というのは、ありえないことを信じる人たちなのです。

 どの国にも法律があり、犯罪を犯した人は、償いをしなければならないとされ、刑務所の中で一定の時を過ごし、自由に生きることが許されません。

 そこで思うのは、神はなぜ、ありえない方法で人を救おうとされたのか、ということです。

ネモフィラ 馬見丘陵公園