テトス 3:5
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
キリスト者は新しく生まれた存在であることを教えてくれた聖句です
キリスト者は新しく生まれた存在であるというと、「新しく生まれたなんて実感できない」と語る人がいます。新しく生まれたのは人格としての「私」です。
洗礼を受けた「あなた」は、キリスト者として生きて行こうと思ったはずです。そして今もキリスト者として生きていこうと思っているはずです。洗礼を受ける以前は、キリスト者として生きて行こうと考えていませんでした。洗礼を受けた時点で「あなた」は、キリストを信じる者として生きていこうと考えが変わりました。つまり「あなた」は、キリスト者に生まれ変わったのです。これは聖霊の働きです。
新しく生まれたと考える時に大切なことがあります。新しく生まれ変わったのは人格としての「私」です。私には心があります。「私」が新しく生まれたとしても、心は新しく生まれてはいないということです。心は、「私」の心ですが、「私」ではありません。人格としての「私」は、自分の心を観察することができます。「私」が聖書の教えに従おうとする時、心は反発することがあるかもしれません。しかしその反発を抑えて聖書の教えに従うこともあれば、心に従い、聖書の教えに従わないこともあります。ですから、私たちは新しく生まれたと実感できるのは、「私」の生きかたが変わったことにおいて実感するのです。キリスト者として生きて行こうと考えており、そのように生きていること自体が、新しく生まれたことの証しです。
礼拝生活をし、聖書を読み、信仰者として生きていくに従って心も変化していきます。洗礼を受けた時、心は以前のままです。キリスト者として生きて行こうと「私」が決意したので、少しは心は変化しますが、基本的に心は古いままです。だから聖書の教えに反発したり、従いたくないとの思いが生じることはよくあることです。その時は罪との戦いが生じます。
