クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

聖餐の恵み

 私が牧会してきた教会では、原則として第一日曜日に礼拝説教と共に聖餐式を行ってきました。パンとぶどう酒を配り、キリストが十字架で私たちの罪のあがないのために死んでくださったことを覚え、救いの恵みを味わいます。

 2025年度、A教会で毎月聖餐式をすることになったので、聖餐の恵みについてお話ししたいと思いました。私自身聖餐の恵みを確認したいとの思いがありましたので。第一回目の聖餐式で語った小メッセージを紹介します。

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救いの確かさを告げる聖餐式
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今から聖餐にあずかりますが、
聖餐は、私たちの救いが確かであることを
告げ知らせるものであることを短くお話ししたいと思います。

聖餐は、イエス・キリストの十字架の死が、罪の贖いの死であることを伝えるものです。
イエス・キリストは十字架の上でその体が裂かれ、血が流されました。
聖餐式でいただくパン、それはキリストの裂かれた体を指し示します。
聖餐式でいただくぶどう酒、それはキリストの流された血を指し示します。
いずれもイエス・キリストの十字架の死を指し示しています。
イエス・キリストの死は、罪の贖いの死です。
つまりイエス・キリストは十字架の上で、
罪の贖いのいけにえとして死んだということです。
旧約聖書において、イスラエルの民は罪を犯した時、いけにえを献げました。
そのいけにえは、罪の贖いのためのいけにえと呼ばれました。
贖いのいけにえを献げることによって神から罪の赦しを受けることができました。
そのあがないのいけにえとしてイエスは死にました。
神は御子イエスをあがないのいけにえとしたのです。
人は自分の罪の赦しを得るために何もしていません。
驚くべきことに、神が、いけにえを差しだしたのです。
神が、罪の贖いのいけにえを提供した、そのことを信じれば、
私たちは罪の赦しを受けることができます。
人は自分の罪の赦しを得るために何もしていません。
この赦しは神の恵みです。
人はこの赦しを神の恵みとして受け取ります。

目の前に備えられたパンを私たちが食べるのが確かなように、
イエス・キリストを信じる私たちが、罪赦されていることは確かなのです。
目の前に備えられた杯からぶどう酒を私たちが飲むのが確かなように、
イエス・キリストを信じる私たちが、罪赦されていることは確かなのです。
私たちの救いは確かなのです。

自分は本当に救われているのだろうかという疑問が生じたり、
不安になったりすることがあるかもしれません。
しかしパンとぶどう酒は、これをいただく人が
神の恵みによって罪赦されていることを告げています。
パンとぶどう酒をいただくことが確かなように、
私たちが罪赦されていることは確かなのです。
パンとぶどう酒を口の中でよく味わい、
罪の赦しの確かさ、私たちの救いの確かさを味わいましょう。

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