イエスは、律法の中で最も重要な掟は何ですかと問われたことがあります。その時イエスは、最も重要な第一の掟は、神を愛することと答えました。
神を愛するといっても神は目に見えません。どのように神を愛したらよいのでしょうか。私は神の御心を大切にし、神の御心を喜び、御心に従うことと理解しています。
イエスはヨハネ福音書6章で父の御心について語っています。
ヨハネ 6:38~40
わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。
38節で、イエスがこの世に来たのは父なる神に遣わされたからであり、自分の意志ではなく父の御心を行うためであると語ります。39節で、その父のみ心とは、「わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」と語ります。
この「わたしに与えてくださった人」については、37節にこう書かれています。
6:37
父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。
イエスのもとに来る人、つまりイエスを信じる人は、既に神に選ばれた人であり、その人がイエスを信じるのだと言われています。私たちは自分の決断でイエスを信じましたが、その背後に神の選びがあると語られます。振り返れば、自分が洗礼に至る経過の中で神の導きのあることを思わされます。
イエスを信じる人に対する神の御心が二つの仕方で語られています。
- わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させること
- 子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させること
父なる神のみ心は、イエスを信じる者が終わりの日に復活することであるとイエスは語ります。ここで思いめぐらします。神を愛するとは神の御心を重んじること、その神の御心は、イエスを信じる者を終わりの日に復活させること。ならば神を愛し神の御心を重んじる人は、終わりの日の復活を信じることになります。つまり終わりの日に自分が復活することを信じることが神の御心を重んじることになり、神を愛することになります。神を愛する人は、終わりの日の復活を信じる人であると教えられます。終わりの日の自分の復活を確信したいとの願いは、どのように実現するのでしょうか。
ヘブル 11:1
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
この確信はどこから来るのでしょうか。自分の信仰を強めるように努力するのでしょうか。確信させてくださいと祈ればよいのでしょうか。最近、宗教改革者カルヴァンの書いた『キリスト教綱要』を読み直していますが、その中で彼は書いています。その確信は聖霊からくると。
天の父よ、私に御霊の導きを与え、確信を与えてください。
