ヘブル 11:1
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
確信するってどういうことなのかを考えます。私はイエス・キリストを信じているので永遠の命を与えられ、神の国に迎えられると信じています。このことを確信しているのかと言われると私の場合は、答えが曖昧になります。
なぜかというと、「信仰の世界」に生きている時は何の問題もありません。聖書に書かれていることを神の言葉として受け入れ、信じています。ところがふとした時に、「信仰の世界」から離れてしまうのです。「信仰の世界」そのものが虚構、作り事ではないか、と思えてしまうのです。自分は迷いの中にいて、確かなものとされることに対して懐疑的になるのです。世の中には確かなものなどないと懐疑的になるのです。
論理でこの懐疑を克服することはできません。どう対処したらいいのか分かりません。私の心に触れた聖歌があります。『恵みの高き嶺』という聖歌です。
恵みの高き嶺 日々我が目当てに
祈りつ歌いつ 我は上りゆかん
光りときよきと 平和に満ち足る
恵みの高き嶺 我に踏ましめよ恐れのある地に などかはとどまらん
疑惑の雲をば はやく下に踏まん
光りときよきと 平和に満ち足る
恵みの高き嶺 我に踏ましめよ
恵みの高き嶺ってどんなところなのでしょうか。今日もこの恵みの高き嶺を目指しています。聖書を読み、神に祈り、聖霊の導きを得て恵みの高き嶺に登り続けたいとの思いで、老いを生きています。
