マタイ福音書をディボーションしています。マタイ福音書の14章13節以下、イエスが五千人の男性にパンを与えたという箇所です。イエスは群衆を見て、深く憐れんだとあります。この言葉を読んで、同じ言葉を前読んだことがあると思い、その箇所を探しました。マタイ9章36節でした。
マタイ 9:36
また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。
イエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果てているのを見て深く憐れんだとあります。そこで私は思います。飼い主のいない羊は弱り果てると。しかしその羊をイエスは深く憐れむのです。
そう思った時、自分も飼い主がいない羊だと思わされました。そして飼い主のいない羊は迷子になります。自分も迷子になっていたのでは、と思わされました。信仰に疑いは伴うことはある意味、事実です。だから、疑いを持ってもなお信じ続ける、そんな思いを抱いていました。でも疑いは悪魔が持ってくる、とも考えていました。なかなか疑いを追い払うことはできません。追い払ってもまた湧いてくるのです。
ヤコブ 4:7
だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。
この聖句も知っています。でもなかなか悪魔は逃げていきませんでした。マタイ福音書を読み、自分は飼い主のいない羊だから迷っていた。飼い主がいないから、迷い、疑いを抱いたりするのだ、と気づきました。そして自分の飼い主は神さまなんだと思った途端、心は晴れやかになりました。神さまを飼い主として歩めばいいんだと思ったら、霧が晴れるかのように疑いが消えていきました。私の心は定まりました。神が私の飼い主であることに気づく恵み。感謝です。
