クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

一つの反省

 先日、ある教会に招かれ説教奉仕をしました。礼拝後のコーヒータイムに参加しました。教会員、新来会者との親睦を深める交わりです。私が席に着くと一人の方が「神さまの選びについて疑問があるのです」と語られました。「ある人を選び、ある人を選ばない。不公平な気がします」とその方は話されました。

 私はロマ書9章で、パウロが選びを語っているところを最近読んでいました。神はアブラハムの子イサクを選び、イシュマエルは選びませんでした。またイサクの子、エサウとヤコブについては、ヤコブを選んだと書いてあります。

 パウロは、旧約聖書の言葉を引用します。

ローマ 9:15
神はモーセに、/「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。

 このような聖書の内容が頭に浮かんできました。「神の選びには目的があるとか、何とか」、私は話しました。でも通じませんでした。その方がさらに話しをされたので、それについてもコメントするような感じで話をしました。でも通じませんでした。期待していた答えを私は語ることができませんでした。「用事があるので帰らなければなりません。これで帰ります。ありがとうございます」と言って、その方はあわただしく帰られました。もう少し会話を続けることができれば、と思いましたが、それはかなえられませんでした。

 ある人が疑問を持ち、その解決のために話しかけてこられた時、何が疑問なのか、なぜその疑問を抱くのか、何が問題なのか、キチンと聞くべきであったと反省しました。十分聞いた上で、答えるべきだったと思いました。

 もしかしてその人が疑問を抱いていることをこちらがしっかり受けとめることができれば、疑問が解決しなくても、自分の疑問を理解してもらえたとのことで、安心というか、安らぐ気持ちを抱くことができたかもしれません。

 同じ過ちはしたくないので、反省の弁を書いてみました。

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