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隠退牧師 holala によるブログ

エフェソ書 真理を帯として腰に締め

 パウロは、悪魔の策略に対抗して立つことができるように神の武具を身につけなさいと書きます。信仰の戦いは人間相手の場合もありますが、悪魔が相手の時もあると教えられます。

エフェソ 6:11
悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

エフェソ 6:13
だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。

 神の武具の一つに帯としての「真理」があり、真理を帯として腰に締めなさいとあります。

エフェソ 6:14
立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、

 帯を腰に締めるという表現は、聖書に繰り返し表れる表現です。それは次の活動に備えるという意味があります。

出エジプト記 12:11
それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。

 昔イスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しんでいました。彼らは神に助けを求めました。神はイスラエルの民に過越の食事をするように命じます。その時、神は「腰帯を締め」と命じました。この夜、神の使いはエジプトの家に災いをもたらします。するとエジプトの王はイスラエルの民にエジプトから出て行くように命じます。このエジプト王の命令がいつ下されてもいいように、腰に帯を締め、過越の食事をし、いつでも出発できるように準備するのです。

 私は、真理を帯として腰に締め、という聖句が好きです。好きを越えて、自分の生き方となりました。真理とは言い換えると神の言葉のことです。聖書と言うこともできます。私はある時から、御言葉を自分の思考の土台にすることにしました。神の言葉によって物事を考えることにしました。自分がそれまでに身につけてきたものの見方、考え方を捨て、御言葉に立つことにしました。真理を帯として腰に締め、とは神の言葉を真理として生きる態勢を整えることと理解します。信仰者とはどのような存在であるかを示す言葉、それが真理を帯として腰に締め、です。

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