エフェソ 1:17~18
どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
この祈りは、老いの中にある私が遅まきながら向き合っていきたいと考えている祈りです。まず、「神を深く知ることができるように」との願いがあります。神を「深く知る」のです。深く知るってどういうことなのかと思案します。この場合の「知る」は、交わりによって相手を知るという意味です。たとえば、結婚生活を通して、生活を共にすることを通して、自分の伴侶がどんな人か知るようになります。具体的な関わりを通して相手を知ります。それと同じように、礼拝生活をし、聖書読み、祈り、信仰に歩むことを通して、神を知るということがあります。
かつて私は神が生きて働かれる方であることを知らされた経験があります。あるいは神は、私たちの必要を満たす方であることを知らされた経験もあります。さらに牧師としての歩みを導かれる方であることを知らされた経験もあります。信仰生活の中で私たちは神を知る機会が与えられます。
このエフェソ書では、「深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように」と祈られています。神を深く知ると、心の目が開かれるようです。するとそれまでは見えなかったものが見えるようになるらしいです。何が見えるようになるのでしょうか。「神の招きによって与えられている希望」と、「聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど栄光に輝いているのか」が見えるようになると私は理解します。
この「希望」は、おそらく「聖なる者たちが受け継ぐもの」を自分も受け継ぐという希望です。そしてこの受け継ぐものは栄光に満ちているというのです。
私は今、次のようにこの祈りを受けとめています。まず「希望」について。私が理解する「希望」は、キリスト者がキリストに似たものとなることです。信仰の歩みとは、キリストに似た者になっていく歩みと理解します。キリストに似た者となるように神に招かれていると私は理解します。
コリント二 3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
フィリピ 3:20~21
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
キリスト者が受け継ぐものの一つに、キリストの似姿に変えられることがあると思います。それは栄光に輝く姿なのだと理解することができます。 これは私の理性的な理解です。パウロの祈りは「悟らせてくださるように」です。これは聖霊の働きによる悟りであると理解します。
天の父なる神、悟らせてください。
天の父なる神、まだ他にも受け継ぐものがあると思います。悟らせてください。
