年をとった私の心のなかにはザワザワした思い、モヤモヤした思いがあります。キリスト者とされた喜び、キリスト者として生き、生かされている喜びは心にいつもあります。これは静かな喜びで、大きな叫びを上げるような喜びではありません。喜びは、いつもたしかに私の心の中にあります。同時に私の心は喜び一色に染まることはなく、いろいろな思いがあります。
先日眼科の医師から「白内障があります。手術した方が良いでしょう」と言われました。でも網膜に問題がある私に、手術は網膜に影響を与えるかもしれませんとのこと。簡単には手術を決断できません。私の心はざわつきます。
若い人たちを見ていると、彼らは自分が永遠に生きるようなつもりでいるんだなと思います。年をとった私は、死を意識します。私自身、ずっと長く生きてきましたから、今は人生の最終局面にいることを思います。命の終わりを意識する、これも私の心に何らかの思いを与えます。キリスト者ですから神の国の希望があり、悲観することはありませんが、この世界と別れを告げることに漠然とした不安を覚えます。人間の心って一筋縄ではいきません。
だからでしょうか。今、切に求めるものがあります。
詩編 4:8 口語訳
わたしは安らかに伏し、また眠ります。
主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、
ただあなただけです。詩編 4:9 新共同訳
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。
主よ、あなただけが、確かに
わたしをここに住まわせてくださるのです。詩編 4:9 聖書協会共同訳
平安のうちに、私は身を横たえ、眠ります。
主よ、あなただけが、私を
安らかに住まわせてくださいます。
主なる神だけが与えることのできる平安、今、これが欲しいです。
あなたは私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。
ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、
安らぎを得ることができないのです。
(アウグスティヌス 『告白』より)
