今、私には一つの問題、課題があります。白内障の手術です。私の眼には網膜に問題があるので、手術には考慮すべきことがあるのです。眼科に行き、医師に質問を投げかけ、手術に関わる知識を得て、穏やかな気持ちで手術を受けたいと思いました。眼科の先生は、私の思いに寄り添ってくださり、丁寧に質問に答え、また説明をしてくれます。感謝です。
手術は、この先生が紹介してくれる病院で行います。最終的には執刀する医師が私の眼の状態を見てどのような手術を提案するのか、それに従うことになります。色々考えると気が重くなります。でも、また質問を携えて眼科に行く道すがら、くよくよ考えるのはやめて、一切を神さまにゆだねようと思いました。一切を神にゆだねることにしました。
こういう決断をしたこと今までにあったかなと思いました。
一番大きな神にゆだねる決断は、伝道者の道を歩む決断です。ただ伝道者としての歩みは神さまが支えてくださると素直に信じていました。30代、会社員として働いていましたが、神学校に行き、卒業し、教会に赴任し、伝道者としての歩みを始めました。最初に赴任した教会での収入は、サラリーマン時代の1/3でした。正直戸惑いました。何とかなるだろう、そんな思いで伝道者の生活を始めました。
牧師の歩みは旅だと思いました。伝道者は自分の家を持ちません。神さまが行きなさいと命じられるままに、3つの教会で牧師として働きました。牧師を引退した時、どこに住んだら良いんだろうと思いました。いずれにせよ、神さまがずっと支えてくださいました。
あと死ぬ時は、神さまにゆだねるしかないと思っていました。最後の時、安心して終わりを迎えることができるように、神に信頼する歩みをするように努力しました。聖書に導かれて歩むように心がけました。死後のことは自分でどうにかできることではありません。聖書が告げる信仰者の希望に身をゆだねることができるようにと願っています。
今回、手術に関して一切を神さまにゆだねる決断をし、眼科でまた質問し話を聞き、家路につきました。翌日になって気がつくと不思議に心は平安でした。それで思いました。神にゆだねることは、あの平安を得るのに必要なことだと。あの平安とはアウグスティヌスが語る平安、安らぎです。
あなたは私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。
ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、
安らぎを得ることができないのです。
(アウグスティヌス 『告白』より)
