つい先日から、毎朝詩編を読み続けています。ただ通読するだけです。一日10編を目安に読んでいます。いいなあと思う文章があったら、赤線を引きます。そして赤線を引いた聖句をノートに書き写しています。ただそれだけです。読んでいる時間は、30分くらいです。聖句をノートに書くのは別の時間、空いている時間です。
何か目的を定めているわけではありません。黙想もしません。ただ読むだけです。神の言葉に触れるだけです。これが何を生み出すのか、そんなことは考えていません。意味があるのかと言われても分かりません。ただ詩編の言葉を読みたいだけです。正直言うと、これまであまり詩編は読んできませんでした。自分は老いて自由になる時間が少なくなってきているので、今なら読める、今しか読めない、そんな思いがあるようです。
ただ詩編を読んでいると、心の渇きが癒やされるような気がしています。ただ読むことを大切にしたいと思うのです。おそらく詩編には、信仰に生きている人の心がそこにあるので、それに惹かれるのかもしれません。
詩編 100:5
主は恵み深く、主の慈しみはとこしえに。
主のまことは代々に及ぶ。
詩編には「慈しみ」という言葉がよく出てきます。「慈しみ」ってなに?
詩編を読みながら与えられた疑問です。
