クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

みそ汁を作る時の充実感

 最近、朝みそ汁を作っている時、充実感を感じます。なぜなのかと思います。

 朝祈る時、「新しい一日を感謝します」と祈ります。まだ「恵みの朝を感謝します」とは祈れません。与えられた一日を大切に生き、日々の歩みを充実させることができた時、夜の祈りで「恵みの一日を感謝します」と祈ることができます。生きるとは、与えられた一日を恵みの一日にすることであると思うようになりました。

 朝食の担当は私なので、毎日当然のごとく、自分の役目としてみそ汁を作ります。いやいやながら作ることはありません。役目だから、淡々と当たり前に作っている感じでしたが、充実感をなぜ感じたのかと思います。この充実感は神さまが与えてくださったものではないかと今考えています。

 私たちは心が鈍くて、神さまが与えてくださった恵みに気がつかないことがあると思います。それなら気づきたいと思います。いいことがあれば、いやでも恵みと受けとめます。この場合、自分の身に起こる物事を自分にとってよいことか、悪いことか、どうでもいいことかと判断してしまいます。目が自分に向いているのです。

 目を神さまに向け、これは神さまの恵みではないか、と考えることができます。視点の転換です。すると神さまの恵みに気づきやすくなるように思います。朝、みそ汁を作るときの充実感、それはみそ汁を作ることができる、そのことは恵みなのだよと神さまが言われているような気がしました。今日の一日を神さまが祝福されていると受けとめたいと思います。今日は娘家族にカレーを作り、夕食としてプレゼントしました。これも恵みですね。今日は「恵みの一日を感謝」と祈ります。

シロバナサクラタデ 散歩道