クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

過ぎ去った日々を覚えて 神学校への入学

詩編 143:5
私は過ぎ去った日々を思い起こし、
あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、
御手の業に思いを巡らします。
(聖書協会共同訳)

 幼なじみの友人は大学卒業後名古屋で就職しました。洗礼を受けてしばらくして、彼が出張で東京に来ることがあったので再会しました。夜空を見ながら私は彼に、「牧師になりたいという憧れみたいなものがあるんだよね。でも人間関係が苦手な僕には無理な話しだけど」と話したことは忘れられません。

 私はコンピュータ会社でプログラミングの仕事をしていましたが、この仕事を続けて開かれる未来を想像することができませんでした。「そのためなら死んでも良いと思えることに出会いたい」との思いが心の中にあり、その出会いを無意識に求めていたので「牧師になりたいという憧れ」という言葉が口から出たのかもしれません。

 その後、聖書をもっと知りたいという思いが心の中で大きくなっていきました。そのためには神学校に行くのが一番良いと思いました。でも神学校は、牧師になるために入る学校であり、福音を宣べ伝えるために生涯を捧げる思いに導かれた人が行くものと私は思っていたので、入学を申し込んでいいものかどうか迷いましたが、神学校で学びたいとの思いが強く入学試験を受けました。試験の他に、献身に至る思いを文章にするという課題があり、悩みました。でも何とか入学を許され、4年間通いました。仕事をしていましたのが私が選んだのは夜間の神学校でした。

 会社では上司に相談し働く部署を変えてもらいました。プログラミンの仕事をしている限り、神学校に通うのは無理だと判断し相談しました。事務部門で働くこととなりました。今考えると会社はよく私の希望をかなえてくれたと思います。

 かくして仕事をしながら夜間の神学校で学び、4年になりました。最終学年です。卒業すればどこかの教会に赴任して伝道者としての働きを始めなければなりません。その頃は、牧師になるのは自分にとって自然なことと考えるようになっていました。なかなか赴任する教会が決まりませんでしたが、幸いにも赴任教会が与えられ、感謝して神学校を卒業しました。

 今思うと、「聖書をもっと知りたい」との思いは、献身につながる思いであり、神学校に入学を希望するに十分な理由だと思っています。福音を伝えることは、常に聖書を深く学ぶことが前提になると考えています。牧師を引退した今でも、聖書を読み、聖書を学ぶことは続けています。「聖書をもっと知りたい」という思いが、私の生涯を導いてきたことを今、確認しました。

 牧師になりたいとの憧れ。神さまが与えて下さったものと信じます。

フィリピ 2:13
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。

膳所(ぜぜ)教会(滋賀県)