詩編 143:5
私は過ぎ去った日々を思い起こし、
あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、
御手の業に思いを巡らします。
(聖書協会共同訳)
教会に通い始めてしばらくした頃、青年会の人から、あの教会の祈祷会に参加してみたらと言われて、その教会の祈祷会に参加したことがあります。久遠(くおん)基督教会です。聖書の話が終わった後、参加者が祈り始めました。意味の分からない言葉の祈りでした。その言葉が轟音のような響きで聞こえてきて怖くなりました。すぐ教会を去りました。参加者は、聖霊のバプテスマを受け異言で祈っているのでした。その時は何が何だか分かりませんでした。
牧師となって最初に赴任したのが三重県の鳥羽教会。その年の夏、三重地区の中高生キャンプが行われ、私はスタッフとして参加しました。キャンプが終わり、しばらくして手紙と本が届きました。それはキャンプに参加したS教会のCS教師の方でした。その手紙には、「あなたの話には力がない」と書かれていました。その本の名は『聖霊のあらわれ』(ロバート・フロスト)。聖霊の働きについて色々書いてあり、聖霊のバプテスマを受けるように薦める本でした。聖霊について理解するには未熟な私でした。1981年の夏のことです。
正確な年は思い出せませんが、多分1985年頃でしょうか。鳥羽教会は新会堂を建設しました。ある時、ご夫婦の方が礼拝に参加するようになり、やがて転会したいと申し出られ、鳥羽教会の教会員となりました。この方たちは、聖霊のバプテスマを受け、異言を語ることがキリスト者であるとする教会の出身でした。聖霊のバプテスマを受けた人が私のそばに来られたのです。何らかの事情でその教会に出席できなくなり、鳥羽教会に来られたのでした。前述の本を読んでいたので、聖霊のバプテスマ、異言ということは理解できました。
近隣の教会の牧師3人で韓国の教会を一週間訪問する旅行に出かけました。韓国の教会の牧師宅に宿泊し、韓国教会の礼拝、集会を経験する旅でした。韓国の教会は信仰者の多いことでは、日本とは比較になりません。私たちの世話をしてくださった先生が、私たちに語ったことが心に残りました。
日本の教会の伝道不振の理由の一つは、牧師が信徒に聖霊を受けるように導かないことです。
この先生はメソジスト系の牧師であり、聖霊のバプテスマのことを話されたのではありません。聖霊の導きを受けて生き生きとした信仰に生きることを勧めたのです。
以上のことが鳥羽教会時代に起きました。私は私なりに聖霊について学び始めました。でも鳥羽教会時代は、説教するので精一杯でした。今思うと神さまは、聖霊によって導かれる信仰に生きるように布石を敷いてくれたのだと受けとめます。以上の出来事がすべて偶然とは思えません。神さまは、私をある方向へと導いてくださったのだと信じます。
