クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

過ぎ去った日々を覚えて 聖書の読み方を学ぶ

詩編 143:5
私は過ぎ去った日々を思い起こし、
あなたの行ったことを一つ一つ思い返し、
御手の業に思いを巡らします。
(聖書協会共同訳)

 私には若い時から、二つの疑問がありました。キリスト者として生きる時、聖書をどのように読んだらよいのか、また祈りとは何で、どのように祈ったらよいのか、という疑問です。

 御殿場教会で牧会している時、知人の牧師からある集会に誘われました。私はその集会で聖書の読み方を学びました。今思うとこれもまた神さまの導きです。1996年のことでした。今日に至るまでその集会で学んだ読み方で読んでいます。

 聖書の読み方はこうでなければならないという制約はないと思います。キリスト者の手元には、日本語に訳された聖書がありますから。各自、自由に読むことができますし、読めばよいと思います。でも牧師としては、こういう読み方がありますよと読み方を紹介し、また指導することがあってもよいと思っています。そうしないと信者は聖書を手にしていても、迷える小羊のごとく聖書をどう読んでいいか分からず、挙げ句の果てに聖書を読まない信者になってしまう恐れがあるからです。

 信仰に生きるとは神との交わりに生きることであると考えるなら、<導き>という視点で聖書を読むことができます。聖書を読んで神の導きを期待する読み方です。一つは自分が必要とする神の導きを聖書に求めるというものです。自分がどうしたらよいか迷っている時に、その答えを聖書に求めるという読み方です。

 もう一つは、神が私に期待していることを知るために聖書を読むという読み方です。この読み方をする人は少ないかもしれません。でもある聖句を読んで、牧師となるように導かれたという証しを時々聞くことがあります。聖書を通して神は私たちを導くこともあるのです。

 あるいは信仰生活の<土台>を築くという視点で、日々聖書に親しむことを大切にする生き方もあると思います。聖書に書かれていることを良く知ることは大切だと思います。

 自分が最善の信仰生活をするために、どのように聖書を読んだらいいのか。これは大切な問いだと思います。私は一つの読み方に出会いました。

 先日、礼拝説教をする機会が与えられました。イエスの語られた言葉をテーマにしました。

ルカ 11:28
 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」

 「神の言葉を聞き、それを守る人は幸いである」とイエスは語ります。これは具体的にはどうすることなのでしょうか。聖書から神の約束を聞くこと、神がいかなる方かを知ること、これが大切です、と私自身の証しを交えながら説教しました。私にとって、聖書から神の約束を知ること、神がいかなる方かを聖書から知ることは大切と受けとめ、聖書を読む時、この二つの視点はいつも意識しています。

散歩道で