クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私は待ち望む者

 テレビでスポーツニュースを見ていると勝利を目指して努力している人の姿を見ることができます。野球、サッカーなどのチームで戦う人。個人競技で優勝を目指す人。精一杯の努力をして、栄誉をかち取る努力を多くの人たちがしています。優勝することは自分の人生に自分はここまで達成したという記録を残すことができます。自分に誇りを持つことができます。

 牧師としての働きは、上に述べたこととは対照的であると思います。<これを達成した>という誇りを持つことはあまりないように思います。少なくとも私にはありません。何人の人の洗礼を授けたとか、著作を刊行したとか、自分の働きを誇ることができるかもしれませんが、一時のことです。

 ある時思いました。歴史の中で自分は限られた時間、限られた特定の場所で福音を宣べ伝える働きをしている、それ以上でも、それ以下でもない、と。ささやかな働きをしているに過ぎないと。個人的には、信仰に生きる人たちと共に神を礼拝し、賛美し、信仰に生きる喜びを分かち合う幸いがありました。しかし福音伝道という視点に立つなら、一人の伝道者としての働きは、ささやかな働きです。でも欠かすことができない働きです。神と教会に仕える働きです。

 福音伝道は世の終わりまで続けられる働きです。エルサレムから地の果てに至るまで、全世界中に向けての働きです。人は生まれては死んでいきますから、どの地域においても伝道の働きは終わることはありません。歴史の中に生きる自分の働きは、ささやかな働きでしかありません。でも必要な働きでした。空しい働きではありませんでした。人生を振り返れば、これこれを達成したと言えるものは何もありません。

 だからこそ、自分は待ち望まなければならないと自分に言い聞かせます。神の栄光が世界中に輝き渡る日の到来を。

 老いの中にあって不安がうごめく時、自分を励ますことの必要を覚えます。

讃美歌15番
天にも地にも み歌ぞきこゆる
われらの神こそ まことの神なれ

讃美歌21 16番
生くるも死ぬるも われらは主のもの
天地にとどろく 賛美の歌声

上の二つは 以下の讃美歌の異なる訳です。
The Lord is King! lift up thy voice
(主は王である。あなたの声を上げよ)

奈良公園飛火野で