クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

新しい一日を感謝することの意味

 私は信仰のない家庭に育ちました。朝が来ることは当たり前のことでした。確率的に考えれば、長生きできると思っていました。朝目覚めて一日を生きる、それは当たり前のことであり、感謝することと思ったことはありませんでした。

 しかし信仰をもつようになり、朝食前に祈る時、新しい一日を迎えることを感謝するようになりました。信仰者として新しい一日を感謝することが当たり前になりました。当たり前なので、それ以上のことは考えない日々がずっと続きました。

 先日、ふと新しい一日を感謝するってどういうことだろうか、と立ち止まりました。毎日、朝早く新聞配達の人が新聞を届けてくれます。神さまが、はい、新しい一日だよと届けてくれるイメージを思い描きました。私は「ありがとうございます」と新しい一日を受け取るのです。神さまから新しい一日をいただくと考えた時、神さまが共にいて下さることが明確に伝わります。そして毎日、毎日、神さまは新しい一日を届けてくださるのです。地上の生涯の最後の日まで、届けてくださるのです。新しい一日は、神さまの愛の贈り物です。

 神さまが一日を届けてくださるということは、その一日は神さまのみ手にある一日だということです。その一日がどのような一日であろうと神さまのみ手にある一日だということです。するとこの一日を神さまに信頼して安心して生きていくことができます。

 しかし、人生においてとんでもないことが起きるのも確かです。夫婦で生活していれば、どちらかが先に召される日が来ます。その前には病に倒れ、伴侶を看病する日々が続きます。あるいは突然の自然災害に遭って、避難生活を余儀なくされるというようなことも起きるかもしれません。それでもなおその一日は神さまのみ手にある一日と信じることができれば、幸いだと思います。果たして私はそのように信じることができるかどうか、その時になって見ないと分かりません。それは大きな問題のない穏やかな気持ちで過ごす一日を神さまからの贈り物と信じて感謝して過ごす日々を積み重ねて行くなら、試練の時も神さまにゆだねて生きることができるのではないか、と考えます。そのような日々を、これからも送りたいと願います。

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