今まで思ってもみなかったことを考えるようになりました。老いて人生が残り少なくなってきました。言い換えると遠くない将来、死を迎えることを意識するようになりました。すると聖書が語る終末の出来事が課題となってきました。死んだ私を待っているのは、終末です。
キリスト教の教理として終末の事柄が教えられますが、頭ではそれを理解し受け入れています。牧師であった時、それを聖書を学ぶ場で教えても来ました。でも自分は本当に信じているのか否か、あやふやです。
残念ながら理性では、信じるけど疑う面もあるというのが正直なところです。死んだ後のことなんか、誰も知りません。だから信じるけど疑う面もある、それが信仰者として当然なのだろうと思います。でも私にはもう一つ別の面があるのです。それはインスタコードという電子ギターみたいな楽器で伴奏しながら、賛美するのです。「いつかは知らねど」(新聖歌465番)、「今日まで守られ」(新聖歌171番)「目覚めよわがたま」(讃美歌370番)。これらの賛美の歌詞には、死を越える希望が歌われるのです。私は、これらの曲を賛美するのが好きであり、喜びなのです。賛美することを通して、歌詞で表現される事柄が心の中に入り、希望となるのです。私の心は終末の事柄を受け入れ、喜んでいるのです。頭で考えること、心の働き、どちらも私です。賛美は信仰を導く力があると知ります。
いつかは知らねど 主イエスの再び
この世に来たもう 日ぞ待たるる
その時聖徒は 死よりよみがえり
我らも栄えの 姿とならん
(新聖歌465番より)主の日ぞいよいよ 間近に迫る
浮世の旅路も しばしの間のみ
間もなく栄えの 御国に行きて
永遠(ときわ)に絶えせず わが主と住まわん)
(新聖歌171番より)みめぐみ豊けき すくいぬしの
み声のまにまに 走るこの身
かちの日来らば そのほまれは
わが主の力と 歌いまつらん
(讃美歌370番)