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隠退牧師 holala によるブログ

神の愛についての黙想(4)神の子とされるほど

ヨハネ一 3:1
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。

 神がどれほどの愛で私たちを愛しておられるのか、それは私たちが神の子と呼ばれるほどだとあります。神は、キリストを信じる私を神の子として接してくださるほどに神は私を愛してくださっているというのです。この神の愛の大きさ、深さ、広さを測ることはできるのでしょうか。この聖句は、神の愛が大きいこと、深いこと、広いことを語っていることは間違いないと思います。

 もし私たちが神の子とされていることを喜び、神を愛し、神の御心を尊び、神の御心に従うことを喜ぶ者へと変えられたとしたらどうでしょうか。私たちは自分の努力で、自分をこのように変えることはできません。

 御子イエスは、完全に父なる神を愛し、その御心を尊び、十字架の死に至るまで御心に従いましたから、完璧な神の子です。しかし私たちは罪を犯しますし、神の子とされたことを喜び、神を愛し、神の御心を尊び、従うとしてもそれは欠けに満ちたものであり、私たちは不十分な神の子です。不十分な神の子だとしても、私たちの心が変えられたことは大きな出来事だと思います。

エフェソ 3:18~19
また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。

 ここには祈りがあります。あなたがたがキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどのものかを理解するように、この愛を知り、神の満ちあふれる豊かさにすべてにあずかり満たされるようにとの祈りがあります。言い換えると、キリストの愛は、私たちが神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それに満たされることを可能にするほどの愛だということです。

エフェソ 3:16~17
どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。

 これも祈りです。神の愛はどれほどのものかと言えば、聖霊の働きにより、私たちの内なる人を強め、私たちの心にキリストを住まわせ、私たちが愛に根ざし、愛にしっかり立つことができるようにするほどのものだというのです。

 神は聖書の中で色々な約束をしてくださいます。神の愛は、その約束を必ず私たちのために実現させるほどのものだと言うことができます。神の約束が、神の愛の大きさを示す秤と言うことができます。それは数値では表せません。神の約束がわが身に実現する時、大きな恵みだと思えば、神の愛は大きいと私たちの心に刻まれていきます。

 イエス・キリストを信じる者は神の子とされます。神はキリスト者を導き、神を愛し、神の御心を大切にし、御心に従う信仰者へと変えてくださいます。私はこのように変えられました。ではこの神の愛の大きさはどれほどのものと私は受けとめるのか。

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