クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

神の愛についての黙想(9)罪から救う神の愛

ローマ 5:8
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

ヨハネ一 4:10
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

 神は御子キリストを犠牲にして私たちを罪から救ってくださいました。罪からの救いとは何でしょうか。聖書を読んで教えられるのは、まず罪の赦しです。罪を犯し神の怒りを受ける者なのに、罪の赦しを受け、神の怒りを受けることはなくなりました。それだけではなく、神はキリストを信じる者を義なる者、正しい者と見てくださいます。罪の赦しの結果です。

 罪からの救いでもう一つ聖書から教えられることは、罪の支配からの解放です。罪の支配から解放されるとは、罪を犯さなくなるということです。そんなこと絶対ありえないという人がいるでしょう。確かに私たちは罪を全く犯さない信仰者になることはできません。しかし、罪の支配から解放され、これまで犯した具体的な罪を繰り返し犯すことがなくなります。具体的な罪から私たちは清められ、聖なる者へと変えられていきます。ある人たちはこれを聖化と呼びます。

 神が御子を犠牲にしてまで私たちを罪から救います。この救いは、罪の赦しだけにとどまらず、罪からの解放、私たちを聖なる者とする救いの恵みも含まれていると私は考えます。神が御子を犠牲にされたのです。

エフェソ 1:4
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

 旧約聖書において、罪を犯した人は動物の犠牲を献げ、罪の赦しを得ました。動物のいけにえには限界がありました。罪の赦しを受け取ることはできますが、それ以上のことはできません。人間の心を変えることはできませんでした。

ヘブル 10:4
雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。

ヘブル 10:11
すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。

 動物の犠牲は罪を取り除くことができません。信仰者を罪の支配から解放することはできません。

ローマ 6:6
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。

ローマ 6:8
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

 キリストと共に生きる信仰者は罪の奴隷とならず、罪の支配から自由にされました。御子という犠牲は、私たちを罪から解放します。神は罪を赦すだけではなく、罪から私たちを解放するためにこそ、御子を罪の贖いの犠牲とされたのです。神の愛は、私たちを罪から解放する大いなる愛です。でもそれを信じていない信仰者が多いのではと危惧しています。

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