最近ヘンリ・ナウエンの『死を友として生きる』(日本キリスト教団出版局)を読みました。この本は、『最大の贈り物』と『鏡の向こう』という二つの著作をまとめています。私が興味深く読んだのは、『鏡の向こう』です。
彼は交通事故にあいます。そして死と隣り合わせの手術を受けることになります。幸い手術は無事に終わります。手術前に彼は、神が近くにおられるという感覚を与えられ、平安な気持ちを得て手術を受けました。彼は「来なさい、わたしはあなたを愛している」「ここがあなたの住まいです」との声を聞くのです。手術の最中に死んだとしても、行くべき住まいがある、と神から言われたような気持ちになっています。
手術が終わり目が覚めます。するとなぜ私は神の家に行かず、この世に戻ってきたのか。私はなぜ生きるのか、という問いを持ちます。そして自分は神に遣わされているとの思いに導かれます。神の愛を知らせる、それが自分の召命だと受けとめるのです。
これを読んで、老いの中にある自分の召命とは何か、と考えさせられました。私は聖書をもっと知りたいとの思いから、神学校に行きました。神学校の最終学年になった頃は、牧師になるのが当たり前の思いとなっており、卒業して教会に赴任しました。福音を宣べ伝えることを自分の召命と受けとめ、30数年牧師として働いてきました。70才で牧師の働きを退き、年金生活を送っています。すべき仕事はありません。自分は何のために生きているのかと時に思います。信仰によって老いを生きる、それが自分の目標であると考えています。老いを生きる自分の思いをブログに書いたりしています。
でもナウエンの本を読んで、自分の召命と向き合うように導かれました。聖書をもっと知りたい、これが自分の召命の原点だと思いました。聖書を深く知るようにと神は私を招かれたのです。聖書をもっと知りたい、これが神の召命だというのは変に思えるかもしれません。でも福音を宣べ伝えるためには、聖書が何を福音として提示しているのか、それをきちんと受けとめることが大切であり、それを受けとめるから、福音を宣べ伝え、人々を救いに導くことができます。
そして今、牧師の働きから退きましたが、聖書を知りたいとの思いは、昔と変わらず今もあります。聖書をもっと深く知り、神が備えられた救いを知り、神さまをたたえる、それが今の私のすることなのかなと思います。そして説教する機会が与えられて、福音を宣べ伝えることができれば、それは何にもまさる恵みであり、喜びです。
