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隠退牧師 holala によるブログ

神の愛についての黙想(13)淫行を行う者を受け入れる愛

 旧約聖書にホセア書という預言書があります。ホセアは預言者です。神はホセアに次のように語ります。

ホセア 1:2~3
主がホセアに語られたことの初め。主はホセアに言われた。「行け、淫行の女をめとり/淫行による子らを受け入れよ。この国は主から離れ、淫行にふけっているからだ」。
彼は行って、ディブライムの娘ゴメルをめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだ。

 神はホセアに淫行の女と結婚するように命じます。またすでに彼女が産んだ子を引き取るようにも命じます。神の命令には驚きます。淫行の女との結婚を命じるのです。不特定多数の男性との関係を持つ女と結婚し、そして彼女が産んだ子らを受け入れよとの神の命令です。ひどい命令と言えばひどい命令です。

 なぜ、神はホセアにそのような命令を与えたのでしょうか。ホセアの結婚は、それ自体がメッセージなのです。淫行の女、それは神の民イスラエルのことです。彼らは、その先祖をエジプトから救い出した神の民で、この神のみを信じ、信頼し、神の民として生きていくべきでした。神がイスラエルに与えた十戒の第一の戒めはこうです。

出エジプト記  20:3
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

 神の民イスラエルは、他の神を礼拝し偶像礼拝をしたのです。神の民イスラエルは神と契約を結びました。神は彼らの神となると約束し、イスラエルの民は神の民として生きると約束しました。しかしイスラエルの民は他の神を礼拝しました。イスラエルの民は神との契約を破ったのです。聖書はこれを<淫行>と呼びます。結婚において、自分の伴侶以外の人と性的関係を持つことは不品行です。それと同じです。イスラエルはこの神だけを神とすべきでしたが、他の民族の人たちが崇める神を神としました。この偶像礼拝は、淫行に他ならないのです。

 ホセアが淫行の女を妻としたことは、ホセアを預言者とした神は淫行を行う神の民イスラエルを受け入れる神であることを示しています。ホセアの存在は、神がいかなる方かを伝えています。神は不品行な民を受け入れる神です。でもそれは、民が淫行(偶像礼拝)をやめ、神に立ち帰るなら、民を受け入れるということです。ホセアの存在そのものがメッセージなのです。

 淫行の民を受け入れる神。もしかしたら私たちは不愉快に思わないでしょうか。あんなひどい人たちを神は受け入れるの?私たちはそれなりに真面目に信仰に生きている。もっと私たちのことを注目して欲しい、神さまには。

 考えてみると、このように考えている人たちが福音書に登場します。ファリサイ派の人々、律法学者と呼ばれる人たちです。イエスが罪人とか徴税人と呼ばれる人たちと関わることを彼らは非難しています。なぜ、あんな連中と付き合うのか、と。

 現代人は人間の理性を重んじ、神を信じようとはしません。しかし偶像礼拝をしていると私は考えます。それは<自分>を神と崇める偶像礼拝です。現代人は、自分を崇めているという自覚はないかもしれません。しかしその考え、行動においては、自分第一です。自分が一番大切です。自分を何よりも誰よりも愛します。自己崇拝です。神を信じる人が、もし神に従うことを拒み、自分の思いを貫くとしたら、それは神の目から見れば、自分を神とする淫行です。

 神は、淫行に走る者をも受け入れる神です。悔い改めるなら、その人を赦し、その人がどんな人でも神はその人を愛します。その人がどんな人か、その人の人間的価値によって、愛するか愛さないかを決めることを神はしません。神はどんな人でも神に立ち帰ることを喜ばれる神であり、その人を愛する神です。

 神は、神を信じる者との交わりを大切にする神です。この交わりに私たちを招く神です。神は父と呼ばれることを許し、信じる者を神の子と呼び、愛してくださる神です。

サンシュユの花 馬見丘陵公園にて