心の渇き、霊的な渇きを癒やすために、朝早く起きて聖書を思いめぐらす時間をとることにしました。今日で二日目。ヨハネ福音書を読み始めました。ヨハネ1章1~18節を読みました。読んでまず心に留まったのは次の言葉でした。
ヨハネ一 1:6~8
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
「証し」という言葉が3回使われています。ヨハネは証しをするために神に遣わされたとあります。光について証しをするために。そして彼の証しを聞いて、聞いた人が信じるようになるためとあります。ヨハネは、光を証しするために神から遣わされました。神は光を証しする使命をヨハネに与え、ヨハネを誕生させました。ヨハネが誕生した次第はルカ福音書に書かれています。ヨハネは主イエスと同じ頃に生まれましたから、30代で証しの人生を終えたと思われます。
この箇所を読んで、そうだ、僕も証しをするために生きてきたのかも知れないと思いました。牧師としてイエス・キリストを宣べ伝え、イエス・キリストが救い主であることを証しするために生きてきたと言ってよいのではないかと思いました。自分の生きる意味それは主イエスを証しすることにあった、との思いを今日与えられました。
使徒パウロは、母の胎内にいるときから、神から選ばれ召し出されたと書いています。
ガラテヤ 1:15~16
しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた
預言者エレミヤが聞いた神の言葉があります。
エレミヤ 1:4~5
主の言葉がわたしに臨んだ。
「わたしはあなたを母の胎内に造る前から/あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に/わたしはあなたを聖別し/諸国民の預言者として立てた」。
私たちキリスト者も、生まれる前から使命に生きるように神に選ばれているのかもしれません。人はそれぞれの使命に生きるように選ばれていると考えてもよいのではないでしょうか。
