我が家では、朝食の用意は私がしています。みそ汁や副菜の用意をします。パンとご飯は冷凍してあるので、妻がそれをレンジで温め、朝食の準備が終わります。ご飯は妻が炊き、パンは私がホームベーカリーで焼き、妻が冷凍してくれます。
こんな風に役割を決めて生活しています。老いの中にあって、協力していることを思うとき、共に生きているんだな、と実感するようになりました。特に今、妻は病み上がりなので、食事における私の負担が大きくなっているので、妻の協力があってこその生活であることを感じ、共に生きていることを実感し、幸いに思います。そのことを伝えると「老いの恵みね」と妻が答えてくれました。
そこで思います。「私はあなたと共にいる」と神は言われます。そのことを私たち信仰者は信じて生きています。生活しています。しかし神は共にいてくださるという実感はあまりないなあ、と思います。聖書を読み、祈り、日曜には礼拝をささげ、神との関わりのある生活をしています。妻と違い、神の姿は見えないし、その行動を直接目にすることもないので、共に生きているという実感は持ちにくいです。共にいてくださることを信じればよいのですが、そんな実感が持てれば幸いです。聖書を読むとき、祈る時、礼拝において、神が共におられることを意識するようにしてはどうか、と思いました。
