(内容) 略
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- 神さまは、気落ちし、落胆している人を励ますお方です。神さまは、自分の命が絶えるのを願っているエリヤに御使いを通して、ご自分のもとに導き、声をかけられます。静かにささやく声をもって声をかけられます。
- 神さまは私たちに、「○○よ、ここで何をしているのか」と問いかけるお方です。私たちの歩みが、今のままでいいのか、吟味を迫るお方です。
- 神さまは、神さまを畏れ敬う者を七千人も残しておかれる方です。神さまに仕える私たちは、決して孤立せず、孤独でなく、同志がいるということです。
- 神さまは、人目を惹くような出来事の中ではなく、静かにささやく声の中に臨在されるお方です。私たちが聖書を読むとき、私たちは神さまの前にいるのです。
☆神が求める私たちの生き方
- エリヤは絶望感、孤立感、無力感にとらわれていました。しかし神さまはご自身を現し、励まされます。私たちがどのような状況にあっても、神さまは聖書を通して、私たちに出会い、私たちを導かれるお方です。
- 人の歩みは習慣による繰り返し的な面が多いものです。「あなたはここで何をしているのか」と神さまは私たちに問いかけ、私たちの歩みを吟味するよう呼びかけ、私たちの歩みを導こうとされています。聖書を読むとき、読む前と後で、私たちの内に何の変化もないとしたら、神さまの呼びかけがなかったことになってしまいます。エリヤはそうでした。今日、「ここで何をしているのか」との神の声を聞いたのなら、私たちには、何か改めること、神さまが期待する新しい歩みが用意されています。
- 神さまは、静かにささやき、私たちに語られます。私たちの場合、聖書を通して、神さまは語りかけられます。聖書に向かうなら、私たちは神さまの前にいるのであり、神さまは聖書を通して語りかけてくださいます。いつも、そして今日も神さまに聞いて歩みます。