2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧
説教で使いたいたとえの紹介。神さまはキリスト者の心に「神の子」という種を蒔かれます。
ストレッチをして筋肉の衰えをゆるやかにし、健康を保つのも大切なことですね。
安息日の戒めには神さまのどんな御心があるのでしょうか。
老いは試練に直面する時期だと思います。「それにもかかわらず生きる」という知恵があります。
神さまに与えられた賜物を認めることは大切だと思います。私に与えられたのは追求する心でした。
私が使うたとえはオタマジャクシのたとえです。オタマジャクシとカエルは見た目は全く違いますが、オタマジャクシはカエルになります。
私が使うオリジナルのたとえの第二弾。テレビの修理の話しです。
私が説教で使ったカエルのたとえを紹介します。
伝道がむずかしい人がいますが、やはり祈っていきたいと思います。
説教の原稿のチェックをつまにしてもらっています。妻の指摘は厳しいが・・・
神さまになぜ、という問いを投げかけ、心が神さまから離れていくときがある。
パウロは「主に喜ばれる者になりたい」と書きました。私もそうなりたいです。
「先生、年をとるって、新しいことを経験することなんですよ」。そう言われた私が今、経験しています。
聖書を思いめぐらし、神さまの導きを受け取ります。でもそれは、本当に神さまの導きと言えるのか。どうなのでしょう。
私の聖書の読み方の特徴は、聖書を思いめぐらし、神さまの導きを求めることにあります。
神の戒めは何のためにあるのでしょうか。どうしたら守れるようになるのでしょうか。
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。このイエス様の音場を黙想しました。
聖書を読み、神さまはどんな表情をわたしに向けておられるのかを思いめぐらします。
夜の祈祷会で歌った讃美歌48番。なつかしく、そして私と人生を共にしてくれた讃美歌。
わたしが納得した聖書の読み方の紹介です。20数年、このやり方で聖書を読んでいます。
老いの日々、同じような日々の暮らしの中で、課題を見つけて生きることは素敵なことではないかと思いました。