2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧
NHKの朝ドラの台詞が心に残りました。「その思いが私たちを動かすエンジンです」。 その思いとは?
私たちが信仰に生きるとき、聖書を読むことは必須です。聖書は神の言葉であることをめぐっての対話です。
「イエスの与える救いとは」と題して説教する機会を与えられました。
パウロはキリストを知るという知識の香りを漂わせる伝道者について語ります。
私の人生に彩りを添えてくれた趣味。神さまにつながる趣味。
パウロの手紙を読み、パウロが神の愛に生きていることを教えられました。心が震えました。
神の前に人間が犯す罪は、神を神としないこと、神を敬わないこと。そして敬わない心から出てくる神の教えに逆らう行動。それが罪。
年をとって悟ったこと、学んだこと。信仰とは何か。固い言い方をするなら、神との契約に生きること。聖書の言葉で言えば、神との交わりに生きること。
罪のなぜ問題になるのでしょうか。罪の重大性とは?
何もできなくなったと語る老いた信仰者が聞く言葉。「祈ることができますよ」。
人はどのようにして自分の罪を知るのでしょうか。ガツーンと自分の罪を知らされた人たちがいます。
「神さまに信頼しているのになぜ」「だから神さまに信頼する」。二つの立場があります。
神さまが大きなプレゼントをある人を通して与えてくださいました。聖地旅行(イスラエル旅行)の機会が与えられました。
私たち信仰者に与えられている神さまの約束をめぐっての対話です。
年老いた私が「わたしについてきなさい」とのイエス様の声を聞きます。どのように生きたらよいのか思いめぐらしました。
アブラハムの物語は、神を信じるとは、神さまの約束を信じることであると教えています。
人間と神さまでは名前の付け方が違います。神さまはさすがです。「掃きだめ菊」と名付けられた植物
キリストは人類の罪を背負われたと説教者としての私は語ってきた。そんな私が反省したことは
雑草と呼ばれてみむきされない野草を慈しむ心は、神の似姿に造られた私に与えられたもの。野草を通して神の慈しみを見る
A長老とCさんの対話。神さまの祝福をどのように求めるのか。
聖書を通して私を導いてくださった神さまを何と呼んだらいいのか。
イエスは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うか」と問いました。私は神さまをどのような方として体験的に知っているのか。私の神告白は?