祈り
イエスは苦しみもだえて祈られた。その姿に思いを馳せる。
最近よく賛美するのが、讃美歌224番です。人命が戦争で奪われていく現実を覚えながら、歌っています。
ネガティブ・ケイパビリティに触発されての祈り
讃美歌「新しい年を迎えて」が聞こえてきて、歌詞が心の中には言ってきました。「・・生き方を 今年はしよう」。
令和6年能登半島地震が起きました。このことを覚えて祈った祈りです。
祈りについて思うこと。何を祈るか、そこにキリスト者としての自分がどのような信仰者であることが現れる、と。
イスラエルのガザ軍事攻撃の再開を覚えての祈り
主の祈りを思いめぐらし、気がついたこと。
信仰生活を始めてから、私には分からないことが二つありました。聖書をどう読んだらいいのか、祈りはどう祈ったらよいのか、です。
i祈りにむなしさを覚えるときがあります。どうしましょう?忍耐強く祈ることが大切かな
神は、人間に自由を与えたので、原則として人間の行動を妨げることはしないと。それを踏まえて祈りました。
ガザの現状を覚えての祈り 天の父なる神さま、 テレビで放映されているのを見て、 ガザの悲惨な状況を知ります。
ろしあとうくらいな、イスラエルとハマスの戦争を覚えての祈りです。
敵を愛しなさいに続いて、迫害する者のために祈りなさいと主イエスは教えます。迫害する者を敵と見なせば、彼は私を攻撃しているのです。
パレスチナの地、ガザを覚えての祈り。
マタイ福音書で離縁についての主イエスの教えを読み思いめぐらしました。長年の結婚生活に対する神さまの支えに感謝しました。
ウクライナを覚えての祈りです。
他者を裁く私が死んで、他者のために執り成す新しい自分が生まれました。
ギデオンと300人が戦った故事に倣(なら)う祈り。
信仰には疑いがつきまとうことは当たり前のことと考えています。自分が疑い深いことは、疑い深い人に福音を語る上で、役に立つと考えてきました。
牧師の働きから引退して6年経ちました。説教奉仕の機会が与えられます。
最近の祈りです。
この世界に福音が宣べ伝えられますように。
ウクライナを覚えての祈り
人がキリスト者になると、神の教えに従おうとの思いを抱くようになります。しかし、従いたくない心があることに気づきます。
今年の2月24日にロシアのウクライナ軍事侵攻が始まりました。そして5ヶ月が過ぎました。事態は見通しがつきません。ウクライナを覚えて祈り続けます。
ふっと思い出したのが助けを求めて叫ぶイスラエルの民のことです。私たちの世界でも、助けを求める叫びが聞こえます。
最近、執り成しの祈りをするとき、執り成すその人の上に「恵みと平和」があるように祈ることが多いです。
人は、必死に祈ったことがかなえられないとき、心が傷つきます。そして次に必死に祈る時、かなえられなかったら、との不安が心をよぎります。
パウロは手紙の出だしで恵みと平和があるようにと祈ります。恵みとは何でしょうか。思いめぐらしました。