福音対話
福音を狭く理解することが起きていないだろうか。福音とは罪の赦しのことであるという施米理解。
クリスチャンは洗礼を受け生まれ変わり、神さまの教えに従いたいと考えます。時に、反発する思いも抱きます
信仰者には、神さまの教えに従うのは無理だとか、従いたくないとか、頑なな思いがあります。どう対処するか。
罪に打ちのめされることをめぐって。罪とプライドには深い結びつきがあります。
キリスト者を迫害することからキリストを宣べ伝える者へパウロは返信。何が起きたのか。
キリストと出会ってパウロの心はどのように変わったのか。一つ確かなことは、彼は自分がみじめな人間であると悟ったこと。
パウロはキリストと出会い、それまで誇りにしていたものが塵になったと語ります。何が起きたのでしょうか
イエス・キリストを知る素晴らしさはパウロの生き方を変えました。それでは私たちは?
A長老とBさんの対話。山上の説教をめぐる対話。
聖書を読み、神さまがいかなるかたかを知ったら、問いを立てて思いめぐらしてみる。
聖書を読むとき大切なことは、神さまがいかなるかたかを知ることではないでしょうか。
私たちが信仰に生きるとき、聖書を読むことは必須です。聖書は神の言葉であることをめぐっての対話です。
罪のなぜ問題になるのでしょうか。罪の重大性とは?
人はどのようにして自分の罪を知るのでしょうか。ガツーンと自分の罪を知らされた人たちがいます。
私たち信仰者に与えられている神さまの約束をめぐっての対話です。
アブラハムの物語は、神を信じるとは、神さまの約束を信じることであると教えています。
A長老とCさんの対話。神さまの祝福をどのように求めるのか。
人はどうして神に対して頑なになるのでしょうか。神に対して心を閉ざしています。それはなぜ?
神のみ心がなること、これを考えて生きることが、エジプトを脱出したイスラの民に必要なことでした。そして私たちも。
エジプトを出たイスラエルの民は困難に直面します。自分がイスラエルの民だったら、どうするだろうか。
聖書は人は罪と死に支配されていると語りますが、人は自分が自由であると考えています。
神さまの約束をめぐる対話。人生は約束の地を目指す旅。出エジプトの物語は、私たちの話。
聖書を読む時に、神さまはいかなるかたかを考えながら読むと発見があります。
クリスチャンは偶像礼拝をしているのかな?
キリスト者の対話から、キリスト者も偶像礼拝していることが分かる?
聖なる人とはどのような人なのでしょうか。私はキリスト者として生きていきますと自分の生き方を鮮明にして生きる人と言えるのでは。
クリスチャンは聖なる人であることをめぐっての対話。
キリストの復活をめぐる問答です。どう信じるのか、どのようにして信じたのか。
キリスト者が新しい人として生きる理由。そもそもキリスト者は新しい人だから。
キリスト者が新しい人として生きていく理由。第一のりゆは神の国を目指して生きているから。