神の子
キリスト者が生まれ変わったとは、人格としての「私」が生まれ変わったことを意味します。神なしに生きていた「私」が、神を信じて生きる「私」になった。
キリストに見倣う歩みをどのように実践するのか、私の場合の紹介。
キリストに見倣い、キリストに似姿を目指す、信仰者の目指す生き方です。
神の御子は、私たちが何を目指して生きるのか、その模範を示すという意味で、私たちに必要な存在です。
人は洗礼を受け、キリストに結ばれます。そして新しい命に生きる者とされます。そして神の戒めを守ることができる人となります。
素朴な質問をするなら、神の子ってなに? 人間を救うのはなぜ神の子? 救い主は、神の御子だというのです。どういうことなのかと思案します。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」。この聖書の教えは、愚かな教えに見えるかもしれません。でも・・・
敵を愛しなさい。この命令はキリスト者に向けられています。キリスト者がこの命令に従うのは、天の父の子となるためとあります。
終わりを見て生きる、それが私の人生観です。自分の命の終わりと世界の終わりの終末。この二つを見て今を生きます。
御子の似姿になること、キリストに似た者となることはキリスト者の目標です。
失った神の栄光の回復
キリストに似た者となることを目指すことはキリスト者の課題です。なぜならイエスは真の人であるからです。
キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。
信仰には「すでに」と「いまだ」という面ががあります。復活にも当てはまります。キリスト者は、「すでに」復活しているという面があります。
私の内にある問題点とは、自分を第一にする心が心の底にあるということです。私は自分を罪深いと考えます。
あることがきっかけで、キリストに似た者となることを歌った讃美歌がないか、捜し始めました。今日時間があったので、讃美歌の最後までチェックしました。全部で4曲、ありました。
キリストに結ばれたキリスト者の特徴として、神を知り、神を喜び、神を誇ることがあります。このことを主イエスの語られたたとえが明らかにしています。
梅雨間近のこの季節、年を重ねた今、気温の変化が微妙に体に影響を与えます。
クリスチャンは神の子とされました。神の子として成長し、神の国に迎えられたとき、完全な神の子とされます。
ダメなクリスチャンはいるのでしょうか。誰の目にダメなのでしょうか。
私たちは自分の行いに神の子とされるふさわしさを得るのではなく 恵みによって神の子とされます。
聖書は不思議な書物です。読んだことのある箇所を読んで、新たな発見をすることがよくります。
窓から裏山を見ると若葉の緑がきれいです。先日まで裸であった木々が新しい葉を身にまといました。復活の喜びを暗示します。
人は関係の中に生きる存在です。関係を言い表す言葉で互いに呼びます。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのであるとイエス様は教えられました。
信仰生活でやっかいなのが「実感」です。実感がないとなかなか信じられないと問題があります。信じたいけど信じられない、信じられないけど信じたい、と悩みます。
言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。罪を犯すクリスチャンは、神の子といってよい?
説教で使いたいたとえの紹介。神さまはキリスト者の心に「神の子」という種を蒔かれます。
人間と神さまでは名前の付け方が違います。神さまはさすがです。「掃きだめ菊」と名付けられた植物