「神の聖定」という言葉があります。神が世界を創造する前に計画されたことを聖定と言います。聖定ということで私が大切にしていることの一つは、エフェソ書の言葉です。
エフェソ 1:5
イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
あと一つロマ書の言葉があります。
ローマ 8:29~30
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。
御子の似姿になること、キリストに似た者となることは神のご計画であり、またキリスト者の目標であることが分かります。さらにそれがキリスト者の栄光であるということができます。
これは修道院のような隔離された場所で人格形成をするというものではなく、この世の中で生活し、色々な問題に直面するときも、また何も問題がなくても、愛に生きることを通して目指されるものであると私は考え、これを目指して歩んでいます。
それでこのような聖句があります。
コリント二 3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。
私は、神の子とされ、御子・キリストにどれほど似た者となったのかという達成度よりも、似た者となるという信仰の姿勢が大事だと考えています。それならキリスト者はこの歩みをいつからでも始めることができます。
御子に似た者となることを目指すとき、私が大切にしていることは、神の御心を大切にし、これに従うことを心がけることです。だから聖書を読み、神の御心に思いを向けます。