2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧
最近、テサロニケの手紙一をよく読んでいる。その中でパウロが、「神に喜ばれるように」、「神に喜んでいただくために」という表現を使っている。このことが印象に残る。パウロは、神に喜んでもらうことを大切なことと考えているのである。 実は僕は、説教で…
先週の土曜日から、ちょっとしたことで、落ち込んでいた。落ち込むというのは、人間的な反応であり、罪の反応であることを教えられた。つまり自己憐憫に浸ることになる。そのちょっとしたことに対して、落ち込むとは別な反応の仕方もあるのである。それは聖…
朝目覚めて、ちょっとだるかったので、体を休めることにした。先週は、日曜から火曜まで葬儀で体を休める時がなかった。そこで土曜に買った本を読むことにした。『お姫さまとゴブリンの物語』 (ジョージ・マクドナルド著)。 何でこの本を読むようになったの…
本日のメッセージ(2010.11.21) 聖書 ルカ2:21〜40 万民を照らす光 ◇ 今日は召天者を覚えて礼拝を献げます。私たちは死ぬことを天に召されるといいます。神さまに「来なさい」と呼ばれて天に行くという理解です。天のことを神の国と呼びます。 私たちは誰し…
恨めしいほど、週末はよい天気。天気予報は言う、行楽日和。今日は召天者記念礼拝。遺族の大半は、教会員であり、この日のために特に来る遺族は少ない。改めて思うことは、信仰者にとってこの世を生きるとは、神の国を目指す旅をすることであるということ。…
僕は、iPod touch を持っている。音楽を聴くため、また手帳代わりにもなるので便利に使っている。これに FaceTime という機能がある。iPhone またはiPod touch を持っている相手とテレビ電話のように、互いの姿を画面に映して話ができる。娘婿さんとやりとり…
朝早めに起きて、葬儀の説教の準備。葬儀が終わり、火葬場へ。火葬が終わると、火葬場の職員が骨の説明をする。その後、骨を拾う。今までなかったのだが、今回職員が、「遺骨に向かって黙祷」と言った。これには驚いた。突然のことでやめさせるわけにもいか…
昨日、礼拝後、長老会の最中、教会員が亡くなったとの電話が来た。急いで電話に出る。今病院にいるとのこと。遺族と相談して葬儀社を決め、葬儀に打合せ時間を、午後六時と決める。葬儀社に連絡。長老会が終わった後、打合せの準備、および典礼委員会のメン…
信仰者として生きる意味と目的は何か、という問いに対する答えを研修会で与えられたと書いたが、それが何かを書くのを忘れてしまった。我々キリストを信じる者たちは、 神の民として、この歴史の中を神の国を目指して旅をする ということである。実はこのこ…
月曜、火曜と教区の教師研修会に出席した。2回の講演を聴いた。僕にとってはタイムリーな内容で、強い関心を呼び起こされた。一つは、信仰者として生きる意味と目的は何か、という問いに対する答え。伝道し、弟子訓練を行い、教会形成をする、世の光として…
<神に仕える人の自由> 太陽の光に比べれば、地上にある光、 人間が生み出した光の明るさなど何ほどのものでもない。 牧師としての働きの大きさ、小ささは 人間が生み出した光の明るさのように何ほどのものでもない。 偉大なキリスト者が信仰の書を書き表し…
本日のメッセージ(2010.11.7) 聖書 ルカ2:1〜20 大きな喜び ◇ 聖書には、喜びなさいという命令があります。「いつも喜んでいなさい」。しかも、私たちがいつも喜んでいることを神は望んでおられるというのです。うれしいこと、よかったこと、楽しいことな…
今日は礼拝後、教会全体集会を開催した。いくつかのグループに分かれて話し合った。会堂建築をするとき、大切にすべき点はいろいろあるが、大切にしたい事柄をあげ、その中でも優先度の高いものを五つあげるというテーマで話し合いました。どのグループでも…