クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

 朝早めに起きて、葬儀の説教の準備。葬儀が終わり、火葬場へ。火葬が終わると、火葬場の職員が骨の説明をする。その後、骨を拾う。今までなかったのだが、今回職員が、「遺骨に向かって黙祷」と言った。これには驚いた。突然のことでやめさせるわけにもいかない。次回から、収骨した後、祈りをもって終わるようにしなければと思った。収骨の終わりのけじめが必要なのだ。教会に戻り、遺族の方と教会員が共に昼食をとる。食後解散。あっという間に時間が過ぎた日々だった。


 葬儀は伝道の時だと言われる。キリスト者の希望を語る時だから伝道の時かもしれない。でも僕自身は、キリスト者の希望を淡々と語るのみ。聞く耳のある人が聞けば良いというスタンス。もちろん、神の導きは祈るが。伝道は説得ではない。神が人の心をとらえてくださって伝道がなされる。だから祈る。