クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

喜んで死ぬということ

 以下の文章は、奈良高畑教会が年一回クリスマスの時に発行する機関誌『羊群』に寄稿した文章です。

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 私は幼い頃に、人は死ぬものであることを知りました。記憶は定かではありませんが、祖母が亡くなったのがきっかけだと思います。そして死の恐怖を覚えました。死の恐怖の前に自分はなすすべもなく、死を考えないようにしました。大学紛争を経験した後、生きることの空しさも感じました。いつかは死ぬと思うと何をしても空しく思えました。色々な本を読み、死の恐怖と空しさを克服する道を探りましたが、解決はどこにもありませんでした。

 社会人となりました。ある時会社の先輩が「お前、俺と一緒に見合いをしないか」と私を誘ったのです。びっくりしましたが断りませんでした。そして相手を紹介してくれたのがクリスチャンのYさんでした。先輩、そして私はそれぞれ女性を紹介されました。私はまだ若かったので結婚する気持ちにはなれませんでした。このYさんがある時私を伝道礼拝に誘って下さいました。せっかく誘ってくださったので私は行きました。伝道説教の内容はひとことで言えば「信じれば救われる」とのことで、信じて救われるならこんな楽なことはないと私は思い、こういう話しは眉唾ものと自分に言い聞かせました。礼拝への招きを受けましたが行く気持ちにはなれませんでした。ところがその日の夜、教会が火事になったのです。幸いぼやですみました。でも自分が行ったその日に教会が火事になるなんて、何か縁があるのかも知れないと考え礼拝に行くようになりました。紆余曲折はありましたが洗礼を受け、永遠の命の希望を知りました。死を恐れる必要のないことを知りました。とりあえず安心です。でもまだ死の恐怖から解放されたわけではありませんでした。

 牧師となり、聖書に親しみ、死を越える希望についても聖書から学びました。そして葬儀が起きれば、死を越える希望を語りました。葬儀の説教は、遺族の方や参列者に向けて語られますが、葬儀説教は自分に向けての説教でもありました。何度葬儀説教をしたでしょうか。数えたことはありませんが、その都度、死を越える希望を自分に語りました。

 ある時、何が真実なのか、と思ったのです。「死んだらおしまい、死んだら後は何もない、死んだら自分は無になる。自分は世界から見捨てられる」と考えて死を恐れたわけですが、これは真実なのか。それとも死を越える希望を語り信仰者には永遠の命が与えられると告げる聖書の言葉が真実なのか。どっちが本当なのだろうと考え、私は聖書が告げることを真実とすることにしました。その時、死の恐れが私の心から離れていきました。

 70歳で牧師を引退しました。妻と二人老夫婦の生活が始まりました。私は自分が死ぬべき存在であることをいつも意識して生きてきました。メメントモリ(汝死すべきことを忘れるな)と言われずとも意識してきました。今も変わりはありません。自分が死ぬことを意識しながら生きているのです。それは言い換えると生きることを大切に考えることにつながります。そんな私に神さまは福音を伝えるという尊い使命を与えてくださり、まことに感謝です。

 こうして歳をとってくると死が現実のものとして迫ってくるようになります。自分はいつ死んでもおかしくないと思うようになりました。そして心構えというか、心の準備は必要と考えるようになりました。そこで「よろこんで死ぬ」という課題と取り組むことにしました。それは恐れを私に与えた「死」に一矢報いたいとの思いが現れているのかもしれません。

 牧師を引退した年、NHKラジオで『ルターと宗教改革』という題で13回の放送がありました。テキストを購入し、放送を聞きながらテキストも読みました。そこにはルターと親鸞が自分の死についてどのような思いを持っていたのかが書かれていました。その本から引用します。

 「また人間であれば、どうしても死を喜べない心があります。仏の慈悲によって極楽浄土、間違いなしと言われても、あるいは神の恵みによって天国の救いが用意されていると確信しても、それでも喜べない心があるものです」と著者は書きます。つづいて親鸞について書きます。

「弟子の唯円が念仏しても楽しいはずの浄土に行きたくないのはなぜでしょうかと尋ねると親鸞はこう答えました。『・・・親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり、よくよく案じてみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて(だからこそ仏の他力が働いて)いよいよ往生は一定おもひたまふなり(間違いなし)』」。

 弟子の唯円が極楽浄土に行くと分かっていても死ぬことを喜べないのはなぜかと親鸞に尋ねたわけですが、「おまえもか、わたしも同じや」と親鸞は答えたということです。

 ルターは「(私は)いつ死ぬかよく知っている。どこへ行くかよく知っている。(つまり天国に行くことを知っている、しかし)私が必ずしも喜んでいないことに驚いている」。

 私はこれを読んでほっとしたのです。やっぱりそうなのかと思いました。私だけでなく、ルターも、そして宗旨は違いますが来世の希望を説く親鸞もまたそうなのだと知ってほっとしました。しばらくしてうぬぼれるわけではありませんが、喜んで死にたいと願うようになりました。

 親鸞やルターが死んだ後の自分の行く先が喜ばしいところなのに喜べないと語るのは、私の推測では、この世に未練があるのです。未練があるといってもやり残したことがあるという意味ではありません。この世でそれなりの年数生きるとこの世界に愛着を感じるのです。その愛着の中には、家族・友人・大切な人とまだ一緒にいたいとの愛着もあります。愛着を感じるこの世界に別れを告げるのは、さびしいというか、後ろ髪を引かれるというか、未練があるのです。可能なら、あともう少しこの世で生きていきたいと思う心があるのです。この世界よりも素晴らしいところへ行くのに喜べないのは、この世界に愛着があるからだと私は考えています。ルターや親鸞については推測ですが、わたし自身はそうです。

 このことを思うとき、私は信仰の父アブラハムを思い出します。彼は「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい」(創世記十二章一節)と神さまに言われて「行き先も知らずに出発したのです」(ヘブライ人への手紙十一章八節)。住み慣れた地を離れて、慣れ親しんだ人々と別れて、行き先も知らずに出発しました。アブラハムには、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」との約束が与えられていました。彼はこの約束を喜び、出発したのです。このアブラハムを模範とするなら、私はよろこんで死に、神の国に向かうことができるのではないか、と思うのです。私たちは神の国に迎えられるとの約束が与えられています。
 使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙1章21節で「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」と語り、続けて「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており」と語ります。パウロは今すぐにでも死んでキリストと共にいたいと熱望していました。彼にとって死ぬことは益であり、喜びです。死ぬことを喜びとする人がいたのです。私にとっては憧れです。よろこんで死にたいとの願いは信仰的な願いであることを教えられます。

 それで私はどのように死を迎えようとしているのか、どのような備えをしているのかということですが、二つあります。一つは神の国のイメージを持つということです。アブラハムは天の故郷を待望していたとヘブライ人への手紙に書かれています。
 ヨハネ黙示録には、神の幕屋が人のあいだにあって、神は人と共に住み、とあります。神の国を語る聖書の箇所に親しみ、思いめぐらす、これはすてきな楽しみであり喜びです。

 今ひとつは、イエス様の語りかけを心で聞くということです。私が説教奉仕に行く教会には講壇のわきに祈祷室があります。講壇に上がるにはその祈祷室を通るのですが、祈祷室には一つの聖句が掲げられているのです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネによる福音書十一章二十六節)。祈祷室は狭い部屋で一種の密室です。この部屋に入りこの聖句を読むとき、イエス様が私に語りかけておられるような気がするのです。信仰に生きるとはイエス様との交わりに生きることですから、希望を語るイエス様の言葉を心で聞いていくことが大切と思っています。そうすることがよろこんで死ぬ喜びの源泉になるのではと思っています。
 ルカによる福音書によると、イエス様は最後に「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈られました。そこで私もそのように祈りたいと願っています。そのために次のような祈りを私はしています。「私が召されるとき、『よくやった、私のもとに来なさい』とのみ声を聞かせてください」と。まだ元気なときに聞こえてきたらどうしようか、と思う心もあります。