クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

妻は宇宙人?

 先週末、妻と散歩し家から奈良駅まで歩きました。50分くらいかかったでしょうか。駅の近くにはクラシック音楽を聴かせる喫茶店があり、コーヒーを飲みました。ここで音楽を聴くのは楽しみなんです。

 私という人間と妻という人間は相互に理解できないほどに違いがあることがまたわかりました。

 以前こんなことがありました。忘れられない出来事です。御殿場に住んでいた頃のことです。山中湖に車で行きました。御殿場から峠を越えると山中湖村に入ります。村といってもまだ山の中です。しばらく走ると目の前の道を鳥が横断したのです。一瞬のことでした。私も妻も同時に「アッ」と叫びました。「あれは雉だ」と私。妻も「雉ね」。「どう見てもあれは雉の形をしていた」と僕。「どう見てもあの色は雉ね」と妻。僕は輪郭を見て、妻は色の塊を見て、共に雉を見たと判断したのです。

 私は人の話したことをそのまま繰り返して話すことは苦手です。私の頭は人から聞いた話をテープレコーダーに録音してそれを再生するように話すことはできません。ですから、こんな話だったと要約してしまいます。妻は話を聞いたその場面を頭の中で思い出し、その情景を思い浮かべ、ビデオで再生するように聞いた話を話します。私の次女は子どもの時、教会学校の礼拝で説教を聞いた時、テレビを見ているみたいだったと言います。聞いた話がイメージとなって記憶されるようです。妻と同じです。

 それで喫茶店で音楽を聴いているとき、どんな風に聞こえるのと妻に聞きました。すると「音のシャワーを浴びるように聞こえる」と言うのです。メロディーを聴くという感覚はないようです。「知っている曲ならメロディーを聞くことができるけど、これは知らない曲だから」と妻。私はメロディーを追って聞きます。いくつもの楽器のメロディーを同時に追うことはむずかしいですが音の流れを聞きます。音のシャワーを浴びるようだという妻の話を私は理解できません。

 同じ人間なのに、見たり聞いたり感じたりすることは同じなのに、全く違う認識の仕方をしていていることをあらためて知りました。妻は宇宙人なのでしょうか。それとも私が・・・。

 

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散歩道