クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧

復活の主との関わりに生きる(6)ただ主を思う

復活の主が共にいてくださる。これは聖書の約束です。生くるにも死ぬにも主を思う揺るがぬ心を、神よ与えてください。

礼拝説教 福音は救いをもたらす神の力

福音は救いをもたらす神の力です。神の力はどのような救いを、どのようにして実現に至らせるのでしょうか。聖書に聞きます。

老いの日々の日課

老いを生きるとは、御国を目指す旅路を生きることを意識することと考えています。一日分の歩みを意識するために、讃美歌と聖書通読を日課とします。

復活の主との関わりに生きる(5)キリストの心に思いを向ける

復活の主イエス・キリストとどのように関わって生きるのか。復活の主の御心を大切にすることが一つの答えです。信仰は神との交わりだからです。

疑いと共に、しかし疑いを気にせず

「なぜ怖がるのか、信仰の薄い者たちよ」、「信仰の薄い者よ。なぜ、疑ったのか」とイエスは言われます。恐れや疑いがあっても惑わされず信じる歩みをしたい。

復活の主との関わりに生きる(4)キリスト結ばれる

復活の主とキリスト者の関わりで一番大切なことは、ロマ書6章に書かれています。キリストの死と復活が自分の出来事となります。

復活の主との関わりに生きる(3)私の内に生きるキリスト

私たちと共にいてくださる復活の主イエス・キリスト。この方とどのように関わりに生きるのか。復活の主は私のうちに生きておられます。

復活の主との関わりに生きる(2) 私の内に住むキリスト

復活の主キリスト派わたしと共にいてくださいます。私の内におられるキリスト、それは神の言葉です。神の言葉によって生きる、それが復活の主と共に生きることです。

忘れられない人たち

知人の牧師の訃報が届きました。ずっといやしを祈り続けてきましたが、願い通りにはなりませんでした。それも神の御心です。

復活の主との関わりに生きる(1) 主につながって生きる

復活の主、共にいてくださる主とどのように関わって生きるのか、信仰者の課題です。キリスト者は主につながっていきます。母堂のきのたとえが小瀬得てくれます。

復活の主のもとへ行く

復活の主イエスは世の終わりまであなたがたと共にいると言われました。私たちはどのような信仰をもって復活の主に近づくのでしょうか。

充実した老いの歩み

老いた信仰者にどんな歩みが充実した者となるのでしょうか。いつもよろこび、たえず感謝し、どんなことにも感謝することは、充実した歩みの現れです。

罪を犯してはならないと命じるイエス

イエスが私に語ります。「もう、罪を犯してはならない」。このイエスの言葉をどのように受けとめるのか。イエスは、私たちが罪を犯さないように助ける方と信じます。

神の国を目指す旅

老いを生きることをどのように受けとめるのか。充実した日々を生きると考えることができます。でもキリスト者として私は、神の国を目指す旅路と老いを生きる日々を理解します。

充実した老いの日々とは

充実した老いの生活とはどのようなものなのでしょうか。「する」事から「ある」の生活へ。

イエスを信じないことが罪(6/6)

イエスは真理。イエスにつながる人は豊かに実を結びます。真理が私たちを罪から自由にします。

讃美歌15番

神を堂々と賛美します。 我らのみかみは 天地(あめつち)すべます 国々しまじま 喜びたたえよ

イエスを信じないことが罪(5)

罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。これは極端な言葉に見えます。でも人がどこに属しているのか、問いかけているように思います。