ヨハネ福音書は、「罪」についてどんなことを語っているのか、ふと思い立ちヨハネ福音書を読んでみました。今回が最後です。
ヨハネ 8:34~36
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。
だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
イエスを信じないことが罪というのはキリスト教の身勝手な理屈だと言う人がいるかもしれません。でも違います。私たちが罪を犯すことを考えるときに大切なことは、私たちが罪を犯すとき、私たちは神を軽んじ、ないがしろにしているということです。それはエデンの園のアダムとエバが神の教えに背いて、禁じられた木の実を食べたことで分かります。彼らは神をないがしろにしたから、神の教えを破ったのです。
ですから私たちが罪を犯さなくなるには、神を尊ぶことが大切となります。神の御心を重んじることが必要となります。そこでイエスは言いました。
ヨハネ 8:32
あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。ヨハネ 14:6
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
神を尊ぶとは、神がこの世に遣わされた御子を信じること、御子が語られたことを信じることです。
イエスは真理です。私たちがイエスを信じる時、神のもとに導かれます。神を畏れ敬うように私たちは導かれます。真理であるイエスが、私たちを自由にします。私たちは罪に支配されなくなります。そうなるために必要なことは真理であるイエスを信じることです。
ヨハネ 8:46~47
わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。
イエスを信じる、それは言い換えると自分が神に属する者であると信じることです。神の言葉を聞くことを大切なこととし、神の言葉を聞くことなしに自分は生きることができないと、自分はどのような信仰者であるかを自覚することが大切です。
ヨハネ 15:5
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
イエスにつながっている人は豊かに実を結びます。この人は罪から解放された人です。イエスにつながる~真理を聞く~神に属し神の言葉によって生きる。これが実現するにつれ、罪に打ち勝つことができるようになります。自分は何者なのか、アイデンティティーを知ることが大切です。
- 私はイエスにつながる者
- 私は真理を聞いて生きる者
- 私は神に属する者
- 私は神の言葉によって生きる者
私はイエスを信じた時点で、このような者にされていることを信じることが大切です。私たちは神の恵みによって「されている」ので、そのような者として「生きる」ことを始めます。