クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

2024-01-01から1年間の記事一覧

神の御子 なぜ、なに(1)

素朴な質問をするなら、神の子ってなに? 人間を救うのはなぜ神の子? 救い主は、神の御子だというのです。どういうことなのかと思案します。

目を開くイエス

目が遮られるとイエスのことが分からなくなり、目が開くと聖書のことが分かるようになります。目を開くのはイエスです。

生きておられるイエス(6/6)主を賛美する

主を賛美することを喜ぶ、それは私のうちに主イエスが生きておられるからではないかと考えるこの頃です。

信じる心と疑う心(5/5)対処法

疑う心に対する対処法。私の場合。信仰者としてのアイデンティティー。聖書の真理性。

生きておられるイエス(5)キリストと共にいる

この世を去ってキリストと共にいたいと熱望するパウロ。キリストが私のうちに生きておられるから私は願いを共有できる。

礼拝説教 約束された福音(ローマ 1:1~7)

「約束された福音」と出しての説教。聖書はロマ書1章1~7節。

生きておられるイエス(4)キリストに似た者となる

自分はなぜ、キリストに似た者となることを目指しているのか、目指してきたのか、それは私の内にイエスが生きておられるからだと理解するようになりました。

生きておられるイエス(3)イエスと結ばれて

信仰者としての自分の歩みを思うとき、自分の内にイエスがおられると自覚することは大切なことと考えるようになりました。

生きておられるイエス(2)御言葉によって生きる

私が神の言葉によって生きているとは、主イエスが私の内におられ、私の内に生きておられるということです。

生きておられるイエス(1)

イエスが復活したことを祝うイースタ。イエスの復活を信じるとは、主イエスが今、生きておられるという現実に自分が生きること。

信じる心と疑う心(4)信仰の戦い

私の心にスキがあるので、サタンは疑う心を、私の心の中に送ったと考えます。信仰者には悪魔との戦いがあります。

迫ってくるキリストの復活

キリストの復活は死者の復活の初穂。「お前も復活するんだぞ。信じるのか」と迫ってくる者がありました。

信じる心と疑う心(3)サタンの使い

パウロはその身に刺が与えられ、それは彼の弱さでした。それはサタンが置く歌使いでした。

受難週黙想 ルカ 23:50~56 イエスに倣って死ぬ

アリマタヤのヨセフはイエス様の遺体を引き取り墓に納めました。イエスの死を思って導かれた祈り。

義兄の葬儀に参加して

今日は、妻の長兄の葬儀に名古屋まで行ってきました。明日は我が身か。

信じる心と疑う心(2)恵みの高き嶺へ

「恵みの高き嶺(ね)」という聖歌を youtube で聞いたことがきっかけでした。

信じる心と疑う心(1)

イエスの弟子トマスのことを誤解していたことに気づきました。私はトマスと違って信じる心と疑う心が同居しています。

受難節黙想 23:44~49 私の霊を御手にゆだねます

死に際し、自分の霊を神にゆだねるのは、すべてのクリスチャンに共通の思い、願いであると思います。イエスに倣い自分の霊を神にゆだねて死にます。

複雑な心

朝、テレビを見ていたら、大谷翔平選手の会見が開かれました。大谷選手の心を思います。

受難節黙想 ルカ 23:39~43 憐れみに富むイエス

イエスと共に十字架につけられた犯罪人。二人のイエスに対する態度は対照的。

受難節黙想 ルカ 23:32~43 イエスの従順

死に至るまで、十字架の死に至るまで、神に従順に生きるイエスを見る。十字架の死に至るまで、そこには人々からの侮辱を受けるという状況もあるのにイエスはなお神に従順に歩まれた。

受難節黙想 ルカ 22:66~71 証しするイエス

イエスは自分を死に追いやる最高法院で、堂々と証しをします。

平和の大切さ

若きらが 親に先立ち 去(い)ぬる世を 幾世し積まば 国は栄えむ 心に響きます。

礼拝説教 古い自分は十字架に

礼拝説教 古い自分は十字架に 原稿と録音です。

受難節黙想 ルカ 22:39~46 葛藤の祈り

イエスは苦しみもだえて祈られた。その姿に思いを馳せる。

受難節黙想 ルカ 22:14~23 新しい契約

主の晩餐において、キリストは新しい契約をもたらす方であると語られました。信仰者が律法を満たすようになるという約束。

新聞で見た言葉

新聞の記事で見た、つらい中にある人たちの言葉。

神のご支配を思う

13年前の大震災を思い、最近の出来事をも思い、時に複雑な思いに導かれます。

わが行くみち いついかに

今年の元旦も能登半島地震。自分の歩む道が突然閉ざされる、そんな不安に追い込まれる不安があります。

受難節黙想 ルカ 22:14~23 主の思い

主イエスは「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいとわたしは切に願っていた」と弟子たちに語りました。主の気持ちは何だったのか。