「わが行くみち いついかに」。これは讃美歌494番の出だしの言葉です。最近この讃美歌を聞き、また歌いながら、自分に必要な信仰を歌っているなと感じます。
今年の元旦に能登半島地震が起きました。自分の歩む道の前に突然高い壁が現れ、どうしていいか分からない不安の中に追い込まれた人たちがいます。私たちは
「わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆ知らねど」
とあるように、明日はどうなるのか分からない歩みをしています。確率的には、明日も平穏な日々を過ごすことができそうですが、そうでない人たちがいることも確かです。
そして老いとは、それなりの確率で困難に直面することが予想される時期ではないかと思います。そのような時、「主は御心 なしたまわん」とあるように、自分がなお主の御手の中を歩み、主は御心をなしてくださるとの信仰に立てることは幸いなことと思います。実際にそのような時が来たら、主に信頼する信仰に立てるのか、試練です。だから今、
「そなえたもう 主のみちを
ふみてゆかん ひとすじに」
と賛美し、この信仰を深めたいと思います。
「あらうみをも うちひらき
すなはらにも マナをふらせ
主はみこころ なしたまわん」