証し
私の愛唱聖句の商会です。
人々は麦とぶどうを豊かに取り入れて喜びます。 それにもまさる喜びをわたしの心にお与えください。
先日讃美歌392番を歌ったとき心が震えました。 神のみ声は 昔のごと 今なお人を 召したもう 囚われし民 悩む者を 救う使いの 世にはなきか
私たちがイエス・キリストを信じ、神の子とされ、神との交わりに生きるようにされるとき、限界のある自分という存在は、神から賜物を与えられた存在となります。
聖書を読む生活。人がどのように聖書を読むのか、それはその人の自由です。私は生きるために聖書を読みます。
「わたしバカよね、おバカさんよね」。細川たかしさんが歌った曲の出だしです。「自分ってバカなんだよね」。これは心を解放する言葉です。
キリストをもっと身近に感じたい、キリストと私が結ばれている、ひとつであることを実感できたらという思いがあります。
老いの生活は達成を目指すのではなく、日々の生活を感謝をもって終えることに目標をおけばよいと知ります。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。パウロはどんな気持ちでこの告白をしたのでしょうか。
聖書の中で親しみを感じる第一の人は使徒パウロです。パウロとの関わりを振り返ってみたいと思いました。
Yさんを通して、信仰に導かれ、人生の伴侶と出会いました。Yさんとの出会いを神さまの導きと感謝します。
神さまは私の成長を見守り、私は気がつきませんでしたが、少しずつ導き始めて下さいました。
クリスチャンへの100の質問への答えです。
誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。驚く言葉です。使徒パウロの言葉。
ヨハネ福音書には神から遣わされたヨハネは光について証しするために来た、と書かれています。私もキリストの証し人として語ってみたいと思います。
生きるのに疲れたという思い、自分は何のために生きているのかという思いで目覚めるのは一種の老人病と考えてよいのではないかと考えました。
キリストの十字架を私が誇る理由。それは私がキリストとひとつにされて歩むことができるようになったからです。
今まで内に秘めていて言葉にしていなかった思いがありました。今それを言葉に出して言います。
超教派の集会で納得のできる聖書の読み方を知りました。この方法で私は今日まで聖書を読んでいます。
私の聖書の読み方についての変遷について紹介です。信仰を持ち、牧師になってしばらくの頃まで。
福音は力と聖書にあります。この力は私にどのように働きかけたのか、振り返りました。
きりすとしゃのじんせいをひところでいえば、旅。神の国を目指す旅です。そのことを教えてくれるのが出エジプトの出来事です。
年老いた私が「わたしについてきなさい」とのイエス様の声を聞きます。どのように生きたらよいのか思いめぐらしました。
聖書を通して私を導いてくださった神さまを何と呼んだらいいのか。
牧師になった最初の年、神さまはある光景を私に見せてくださいました。とても大切なことをその光景を通して教えられました。
中島みゆきさんの『 ヘッドライト・テールライト』を最近よく聞きます。NHKプロジェクトxという番組で歌われました。
私の牧師人生は、多くの人との出会いに支えられています。この出会いを神さまが与えてくださいました。
幼い日、私の人生に暗い影が落とされた。そこから私に対する神の導きが始まりました。
パウロは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように」と神をたたえました。
教会における信仰の継承とは何でしょうか。信仰の証しを行い互いに信仰の成長をする仕組みを考えてみませんか。