歳をとり、残された時間が少なくなっていることを思います。それで詩編を通読し、昔の信仰者の気持ちに触れたいと思いました。今日は詩編の第一編を読みました。
いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。
ときが巡り来れば実を結び
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
私の心に響くのは、
「主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人」
です。
洗礼を受けた頃は、讃美歌を覚えようとレコードを買って讃美歌に親しみました。牧師になってある時から、ワーシップソングと呼ばれる曲に親しむようになりました。『いのちのパンⅠ~Ⅳ』と題したCDがミクタムという会社から販売され、よく聞きました。最初に親しんだ曲の中に「主の教えを喜びとし」という曲があります。聖書の言葉をそのまま歌う歌です。
詩編のこの言葉は、神の言葉を命の糧(かて)として生きる信仰を励まし、また喜ぶように勧めています。私は超教派の集会でディボーションという一つの聖書の読み方を学び、これを身につけました。この詩篇が、「いかに幸いなことか」と語ることに私はアーメンです。
ディボーションを学び、私は聖書の言葉を自分の思考の土台としました。人間の経験、知恵よりも聖書の言葉を土台とするようにしました。その結果、私の心にはいつも平安が宿るようになりました。
その人は流れのほとりに植えられた木。
まさに私はこの木のような幸いを得たと思いました。信仰者の生活は、何もかもハッピーになるわけではありません。でも神が共におられることから来る平安と喜びがあります。神のみ言葉に生きる信仰を私は誇りとします。
詩編第一編は、詩編の巻頭に来るのも理解できます。そして神の言葉によって生きる幸いを約束しています。
ちなみの youtube で「主の教えを喜びとし」で検索するとこの曲を聞くことができます。