2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧
超教派の集会で納得のできる聖書の読み方を知りました。この方法で私は今日まで聖書を読んでいます。
私の聖書の読み方についての変遷について紹介です。信仰を持ち、牧師になってしばらくの頃まで。
神の偉大な力をどのように受けとめたら良いのか、思いめぐらしました。
福音は力と聖書にあります。この力は私にどのように働きかけたのか、振り返りました。
イエス・キリストを信じる者は義とされる。よく知られた教えです。イエス・キリストを信じるとはどういうことか、深く考えてみます。
わたしが最近賛美している歌の紹介
聖書を読み、神さまがいかなるかたかを知ったら、問いを立てて思いめぐらしてみる。
信仰によって義とされなかったイスラエルの民は約束の地に入れませんでした。
新しい花との出会いから神さまの思いに心が向きました。
信仰によって義とされた人物にアブラハムがいます。「信仰によって」とはどういうことでしょうか。
これが起きれば、世を去ってもいいと思えることがあるのでしょうか。
イエス・キリストによる救いとは、罪を犯すという不具合を持つ人間を修理することです。
きりすとしゃのじんせいをひところでいえば、旅。神の国を目指す旅です。そのことを教えてくれるのが出エジプトの出来事です。
日々聖書を思いめぐらす恵みの紹介。「わたしは宣教する。そのためにわたしは出てきたのである」とのイエス様の言葉に反応した私。
当たり前は決して当たり前ではないと気づくことは幸いではないかと思います。私たちの当たり前は?
祈りについて思うこと。神に訴える祈り。
見つけなくても目につく花、だれもが見ることができる花があります。他方で、探そうと意識しないと見つけることができない花があります。
祈祷会では聖書に登場する人物について、参加者が順番に話をしています。今回は、私の番で、パウロについて話しました。
精一杯、自分らしく生きていこうと花はささやきかけます。自分らしく。自分という人間の個性を大切にして。
信仰によって義とされる。何度も聞いた言葉です。どう受けとめたらよいのでしょうか。
聖書を読むとき大切なことは、神さまがいかなるかたかを知ることではないでしょうか。
パウロは自分がキリストの使徒であることを推せんする推薦人はコリント教会だと語ります。ここにパウロの愛を見る思いがします。