クリスチャンが元気になる holalaのブログ

隠退牧師 holala によるブログ

私の聖書の読み方について(1)

 私が最初に買った聖書は文語訳の聖書でした。当時教会で使われていたのは口語訳聖書でした。作家の丸谷才一氏が口語訳の翻訳を酷評したので、文語訳聖書を手元に置きました。洗礼を受けたのは1975年のクリスマスでした。

 聖書は一番大切な書物ということで、会社に通うバッグに聖書を入れていつでも読めるようにしていました。信仰者になった気負いみたいなものがあったように思います。その時、聖書を初めから終わりまで通読しました。これで「まだ聖書を通読していない」という負い目は背負わずに済みました。

 洗礼を受けてまもなく通った神学校は夜間の神学校でした。昼間は会社で働き、神学校から家に帰ると夜の11時頃、朝は6時半頃に家を出ましたので聖書を読む時間はほとんどありませんでした。

 それでも時間を見つけて聖書を読み、自分の心に響く聖書の言葉に赤線を引いていました。この当時の聖書の読み方は、とにかく読み、心に響く聖書箇所に赤線を引き、自分のお気に入りの聖句を見つけるような読み方をしていたように思います。

 1981年、牧師になってからは、説教のために聖書を読みました。読まずに説教はできませんでしたから。これは仕事のために聖書を読むという読み方です。自分の信仰のためにどのように読んでいたかというと、どのように読んでいいのかわからないというのが正直なところでした。それでも日々少しずつ読み、メモを取るような読み方をしていたように思います。

 教会で聖書の読み方について指導を受けたことはありませんでした。聖書はどのように読めばいいのか、大きな課題でした。キリスト教書店に行けば、聖書の読み方についての本がありましたが、納得のいくようなものはありませんでした。

 それでも説教のために聖書を読みますから、次第に聖書に対する知識は増えていきます。

 私の信仰生活では牧師になってからも、聖書をどのように読めばいいのか、祈りはどのように祈ればいいのか、この二つは大きな課題でした。参考になる本は色々ありましたが、納得のいくものはありませんでした。(つづく)

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