エフェソ 1:19
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。第二コリント 4:7
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
この二つの聖句は神の力の偉大さを語ります。このような聖句を読むと正直、私は戸惑いを覚えます。自分とどんな関係があるのかと考えてしまいます。しかしパウロは「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」と祈っています。
出エジプト記には、神さまはイスラエルの民を奴隷状態から解放するためにさまざまな奇跡を行ったことが書かれており、神の力の大いなることを知ります。しかしそれが自分とどんな関係があるのかと思います。自分の生活の中で、そんな神の偉大な力を経験したことがありませんから。
目に見えない神をどうしたら信じることができるのかと思っていた私が神さまの導きによって信仰を持ちました。神さまの霊的な力が私に働きかけ、私を信仰者としました。この場合、神さまの霊的な力とは、どれほどの大きさの力なのでしょうか。
私は聖書を神の言葉、真理の言葉と受けとめ、神の言葉を土台として物事を考えるようになりました。神さまの導き、聖霊の働きかけが私を変えたとすれば、この場合、どれほどの神の力が私に働いたのでしょうか。
信仰者が変えられるというのは神さまの働きであり、恵みです。神の力の大きさがどれほどなのかは、気にしなくてもよいのではないでしょうか。
神の霊的な力の大きさについては分かりませんが、私が信じている一つのことは、神の霊的な力を受けて、私たちは自分が犯す個別的な罪に打ち勝つことができることです。さらに私の心を御言葉を喜び、御言葉に従うように変えてくれることです。
今この文章を書きながら、教えられました。「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」とあるように、神の大いなる力は悟らせていただくものなのだと。この祈りを祈りたいと思いました。